言葉には特別な力が宿る。
それを言霊というのだけど、もともと日本は「言挙げしない」国。
でも声に出すことで、言霊の働きを強く期待した祈りの言葉がある。それが祝詞(のりと)です。
祝詞の歴史はひとまず置いといて、今回注目したのは漢字の方。
「祝う」という漢字と「呪う」という漢字って似てるから。ちょっと紐解きたくなったのです。
では久しぶりに文字解きシリーズです
じゃあ早速成り立ちから。
「祝」も「呪」も 意味は “祈る”というもの。
左側の「兄」は “ 神に祈りを奉げる人” という意味。
「家で神事を取り行ったのが長男だったから」なんだそうだけど、当時の家での神事ってどんな感じだったのだろう。
現代の神棚とか神さま(御札)とかまったく違うと思うのだけど。
...今回のテーマとは異なるので、調べることがあったらまたいづれ。
じゃあ続き。
「祝」と「呪」はどちらも、感謝と発展の未来のために使われていたものだったみたい。
具体的には「姿と祝詞(言葉)」というもの。
「祝」って漢字は、神に祈っている姿、
あるいは神に供物を捧げる姿。
「呪」は、口から発せられる祝詞そのもの。
「祝」も「呪」も神さま事で前向きな使い方をされてたんですね。
もう一歩踏み込んでみる
次は《音》からの紐解き
「しゅ/祝」と「じゅ/呪」をひらがなの音で視てみます。
この世界には表と裏がある。
別の表現だと陰陽というんだけど
簡単にいうと「朝と夜」とか、「夏と冬」みたいに、真反対のもの=陰(陽)極まって陽(陰)となるっていう、アレですね。
言葉にも、陰と陽...「裏と表」があるんです。
それが「しゅ/祝」と「じゅ/呪」。
「しゅ/祝」* 表の働き
【し】は問題を解決する
生きがいややりがいを与えたり、相手の幸せを祈るという働き
【ゆ】は人を癒し生命を回復させる
元氣になった人を活動させるという働き
表の働きって、誰かのための言葉と行動を表してる。それも幸せになるための。それってお祝いとか祈りとか、前向きな氣持ちで相手を想う心。
「じゅ/呪」* 裏の働き
【し】は何もしたくなくなる
トラブルに巻き込まれるいう働き
【ゆ】は傷つける
相手の痛いところ、弱いところを的確に突くという働き
「じゅ/呪」のエネルギー(言霊)を受けてしまうと氣力を削がれるというか、信じるものがだんだんと減ってくるような。それだとやっぱり生きる力って湧いてこない。
※ちなみに濁点や小文字は働きが強まります
ひらがなや音にも言霊(霊力)は宿る。
日頃わたし達が何氣なく使ってる言葉にも、実は力って宿っています。
ただ、特別な力(特別な霊力)となると
言葉+氣持ちの力で作用します。
例えば「バカ」という言葉ひとつとっても、愛情込めて「おバカね」と言うのと意地悪く言うのでは、そこに込められた氣持ちが全く違います。
氣持ちが異なれば
同じ言葉でも相手に働く作用が異なる。
もともと「しゅ/祝」も「じゅ/呪」も
姿と祝詞(言葉)という「神に捧げるもの」としての意味をもっていたけど、
いつの頃からか「じゅ/呪」は人を傷つける言葉となり、“のろう” という意味を持つように。
まぁ、日本最古の呪いは
イザナミと言われてますからね。
黄泉の国で約束を破ったイザナギにイザナミが「許さない!」と呪いの言葉を吐いたのがはじまり。
※興味のある方は「千引の岩」で検索してみてくださいね
日本神話にでてくる神さま達も
感情表現はよくもわるくも豊かです。
神さまも呪いを使うわけですから
わたし達人間も、誰かを罵ったり陰口や悪口を言ってしまうこともあるかもしれません。
ですがせっかく言葉というコミュニケーションツールを授かり、言霊の幸わう国といわれるほど、誰もが「言葉に霊力を宿せる」のです。
呪いとまではいかずとも相手の嫌なところや鼻に付くところが見えるときは、裏と表で、相手の良いところも見つけることができるということ。
良いところを見つけてしまったら、陰で褒めたらいいのです。
褒めるなんてできない...ってときは
「なんか、良いね」「なかなかやるじゃん」くらい軽いものでも言葉にすることが出来たら、自分の中で「じゅ/呪」から「しゅ/祝」へと好転させることができています。
人に厳しい人は自分にも厳しくなりがち。
「しゅ/祝」の言霊を自分にも活かすなら、まずは自分を褒めるところから始めてみてもよさそうですね。
小さくても、自分が出来たことや自分にとっての幸せを見つけることができたら心がほわっと暖かくなります。
神さまは人の笑顔や喜んでる姿が大好きです。
心がほわっとしてる笑顔の姿を見たら、「またあなたに良いこと授けよう」って、幸運をプレゼントしてくださいます。
言葉もエネルギー。
言葉(言霊)から自分も周りも幸せにできる。
言霊の幸わう国の住人ですから
その恩恵にあやかる人が増えていきますように。
氣門通術師 倉富康恵