「公共空間の意味の変容」群馬大学教育学部前期2018年

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(1)問題 

以下の文章を読み,間に答えなさい。

①かつてつくば市に住んでいたとき,私はつくばエクスプレスを使い,よく秋葉原まで出た。快速で秋葉原まで45分,その間,車内での人びとの様子をそれとなく観察するのだが,なかなか興味深いものがあった。

②電車が動きだすと,ある女性は,大きな四角い鏡を取りだし,メイクを始める。すっぴんの顔にアイシャドウを塗り,電車が細かく揺れるなかで,つけまつげを取りだして上手につけ,カーラーで上向きにしていく。秋葉原に到着するころには,化粧は完成し,女性は何事もなかったかのようにホームヘおりていく。何か左官屋さんの壁塗りを,最初から見せられているような錯覚に陥ってしまう。

③化粧に没頭している女性からは,私の周りに立ち入らないで,これは私のプライベート空間よ,というオーラのような力を感じる。そして,周囲の人びとも,彼女の化粧に何の関心も示さず,気にもしない。周りに視線をめぐらせることなく,ただスマホの画面に向き合い,スマホというメディアを駆使し,自らの世界に立ち入らないでというオーラを放っている。

④他にも目を閉じ,眠っているような人,雑誌や本を読んでいる人,スマホを片手に音楽を聴き,外界と自分を遮断している人,等々――場や空間を他者と共有していながら,他者との交信になんらかのかたちで距離をとっているのだということを周囲に示し,自分のプライベートな世界へ閉じこもろうとする人びとの姿がある。

⑤私たちはこうした光景にもう慣れっこになっていて,とくに驚きはないかもしれない。しかし,日常での他者との出会いやつながりを考えると,やはり驚かざるを得ないのだ。なぜ私たちはこんなふうになってしまっているのだろうかと。

(中略)

⑥電車という移動空間。そこはかつてどのような意味をもっていたのか。私がこれまでの人生で身につけてきた常識的な感覚からいえば,電車の車内は公共の場であり,少なくともそこでやってはいけない行為があったし,またできるだけやらないほうがいい行為もあった。はっきりしているのは,そこはプライベートな空間ではなかったということだ。化粧という営みは,プライベートな空間でなされるべきものであり,電車には,化粧が済んだ――“公の場に示してもいいという意味に満ちた"顔や姿の人間が乗るものだ。

⑦しかし,最近の電車での「あたりまえ」な光景を見ていると,「車内」という意味が確実に変容しつつあることがわかる。「公共的な意味が満ちた空間のはずなのだがなあ」という私の感覚も,こうした車内の日常的光景に馴らされていくにつれ,微妙に変化していく。

⑧通勤・通学電車の「車内」という空間は,私的空間が隣接して成立している空間ではないが,公共的空間でもなくなってしまったのだろう。すでに公―私,パブリック―プライベートで分けられるものではなくなっているのかもしれない。それは職場や学校という,まさに公共の空間に移動するために通過していく遷移的な意味の空間―公と私のグレーゾーン――公から私へと意味がグラデーションしていく空間なのだろうか。

⑨「電車で化粧をすること」の是非など,大したことではないかもしれない。ある学生のレポートでは,「別に他の乗客の邪魔をしているわけでもないし。迷惑でもない。むしろ揺れる車内で見事に化粧するその技に驚く」と書かれていた。「酔っ払って他の乗客にからんだりする中年男性のほうがよほど車内の秩序を乱している」とも。

➉なるほど,その通りだ,と思う。

⑪ただ私がここで問題にしたいのは,迷惑の中身ではない。車内という空間で,人びとが互いの行為や所作を,いかにして「見ないこと」「気づかないこと」として振る舞い,互いの関係性の間に,緩衝材とでもいえる「距離」を保持しているのかという現実である。(好井裕明『違和感から始まる社会学日常性のフイールドワークヘの招待』光文社新書,2014年)

問 空間の持つ意味が変容しているという筆者の見解について,あなた自身の意見を述べなさい。但し,「公共的空間」「私的空間」の二語を用いること。(600字以内)

マナー.png


(2)解答例


 公共的空間とは、電車などの交通機関や図書館といった施設の中を指す。一方、私的空間の代表は家庭であるが、個人の顔や身体も本来は私的な領域であり、その周囲の一定の空間は私的空間に含まれる。公共性を持たない動物でも、縄張りという形で私的空間を持っている。

 人々は電車という公共空間には、私的空間が持ち込まれる。車内では、人びとが互いの行為や所作を「見ないこと」「気づかないこと」として振る舞うという暗黙のルールがある。他の乗客の顔や容姿をじろじろ見る、という行為は、私的な領域の侵犯につながる。そこで「見ないふり」をすることで、互いに私的領域の「距離」を保持する。

 身体が私的領域である以上、身体に関与する行為としての化粧は私的空間の拡大にあたる。さらには、化粧に集中する人は、周囲の乗客に対して「見ないふり」をするのではなく、完全に無視している。

 私は筆者の見解に反対である。車内で化粧をする女性に対して不快感を抱くのは、このような「公共的空間」「私的空間」との間に設けられたバランスを崩し、暗黙のルール、すなわちマナーを破るとみなされるからである。「公共的空間」の持つ意味やマナーを多くの乗客が理解しているからこそ、このような不快感が起こるのであって、「公共的空間」が変質しているのであればマナーも無くなり、このような不快すら感じなくなるであろう。(600字)

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