統合失調症は病気ではない

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コラム
日本には100人に1人統合失調症者がいると言われています。100人に1人というと、ひと学年に3、4人は幻視幻聴を知覚するということになります。

音楽家や画家など、内的な音やビジュアルを表現することを職業とされている方はたくさんいます。
したがって、幻視幻聴を知覚すること自体は何も問題ないのですが、そこに不安神経症が合併すると、たちまち統合失調症となるのです。

幻視幻聴は、見えない人、聞こえない人にとっては幻にしか思えませんが、見える人聞こえる人にとっては感覚的に現実なのです。
日本人の99%が幻視が見えるようになれば、そちらの方が現実とみなされ、見えない人は障害者となります。病気の線引きというのは、時代や場所によって変わる、非常に曖昧なものなのです。

普段見えない人でも、薬物を使用したり、何らかの強いストレス下に置かれたり、ヒステリー症状を伴ったりすると、見えてしまうことがあります。

そこで驚きのあまり、見えてしまうことがいけないことだと思い込んで、見たくない聴きたくないと、回避しよう消去しようとすると、ますます声や映像は鮮烈になってゆきます。これを精神交互作用といいます。

見えていても聞こえていても、そういう体質であるというだけなので、別にそのままで良いのですが

問題は、何が見えているか、です。

生活に支障があるのは、恐ろしくておぞましい物が見えている聞こえてしまう場合でしょう。

聞こえているのが、世にも美しい音色だったり、森の精霊の声だったり、神仏の話声であれば、何も問題はないわけです。

見えているものが、今すぐに描き写したくなるような色鮮やかな情景であったり、大天使ミカエルであれば、問題ないわけです。

心の状態と共鳴する現象がその人に引き寄せられ、その現象を知覚する仕組みになっています。
ですから、統合失調症者が取り組むべきなのは、幻視幻聴をどうこうしようとする事ではなく、健常者の方と全く同じ心の治療であると言えます。カルマの理解、カルマの解消への取り組み、トラウマの解除、囚われの解除、などです。
つまり、心の状態をよくすることが解決策です。

逆に、不快な幻視幻聴は、環境による自己への侵害を知らせるアラートなので、しっかり集中して意味を読み取り、分析し、逃げるなり戦うなり凌ぐなり、その脅威に対応する方法を冷静に考えるべきでしょう。

そして私たち医療者は、自らの鈍感さを認識しなければなりません。健常とはマジョリティのことであり、マジョリティであるが故に、社会的健康を保持することができています。
しかしそれはイチ生命体として健康であることとイコールではなく、私たちは相対的に感覚鈍麻であるといえます。
精神科領域において、彼らの健康を侵害するのは、治療者を含めたマジョリティ側の人間なのです。

例えば猫は、相手と対面するだけで、その人が自分に敵意を持っているのか、好意を持っているのかが分かります。
内面に暴力性をはらんでいる人は、どんなに甘い声と友好的なジェスチャーで猫を誘き寄せようとしても、猫が近寄ってくることはありません。

ですから、統合失調症者が親密な関係を築くなら、猫か、猫が逃げていかないような内面を持つ人を選ぶと良いでしょう。

猫が相手の内面の状態を読み取る力は、一見超能力のようですが、そうではありません。
空間に走る緊張と弛緩を読み取ることができるのは、彼らの優れた嗅覚や耳やヒゲなどの感覚器によるものです。
彼らは、対峙した相手の息づかいや動作、心音、体臭などから、相手のストレスレベルや敵意を正確に把握することができるのです。

統合失調症者は、そういった空間に漂う雰囲気を、抽象化して、言語や映像という形で知覚する能力があるということです。

したがって、その幻聴幻視とは単なる妄想ではなく、その人が置かれている環境の現実的な情報にすぎません。

例えば監視妄想は、例えその人自身が誰かに直接監視されていなかったとしても、その人の職場や住環境に所属している人たちが、常に監視されているというストレスを感じている場合に、猫が相手のストレスレベルを知覚するように、その環境のストレスレベルを幻聴幻視という形で知覚します。

社会全体においても、例えば法律は国民に対して、「悪いことしていないだろうな?」「変な気を起こすなよ?」というような相互監視の緊張感を持たせることによって秩序を維持していますが、統合失調者は、そういった国民全体の緊張を知覚し、幻視幻聴を体験します。
あるいは、社会の構成員に対しては、本当に報酬に見合った働きをしているか、ということを互いに期待し合い、互いに監視し合っているため、統合失調者は社会全体の緊張感を幻視幻聴の形で知覚します。

例え、相手が表面的に体裁を整え紳士的に振る舞っていたとしても、各々の内面の緊張は確かにそこに存在するので、猫のように感覚が鋭敏な人間は、その雰囲気を「バカヤロー!」とか「殺すぞ!」とか「あっちいけ!」などという暴言として知覚してしまうのです。

だから、社内でそういう幻聴が鳴り止まない場合は、気のせいだなどと無視をするのではなく、その会社は相当な負担を社員に強いているということを認め、早めに転職することが望ましいでしょう。

幻視幻聴で知覚した情報は重要な警告であると理解し、幻視幻聴をあるがままに、その会社に留まろうとするのではなく、警告音が鳴らない環境に身を移すきっかけと捉えた方が良いのです。

顔だけ笑顔で心の中でぶっ殺すぞと思っている人達が、協力して仕事を進めていく、ということ自体がある意味異常だとも言えますから、異常を異常である、不快を不快である、と知覚し幻視幻聴を体験する方は、生命体としてはより正常な存在であると言えるでしょう。

統合失調症者がより良く生きるには、自らの感覚器が猫並みに優れていることを認め、そしてその優れたセンサーを才能として活かし社会貢献できる方法を模索しなければなりません。 

内的感覚が優位な人は、衝動が創造的であれば、画家や作曲家などの芸術家。
衝動が破壊的であれば、除霊師や僧侶や巫女などの形で社会貢献できるでしょう。
支離滅裂で飛躍した思考も、愛に溢れていれば、詩となります。
心をcleaningし能力開発に努めれば、あなたは偉大な画家または作曲家、除霊師、僧侶となり、心のcleaningを怠れば社会最弱の統合失調症者となります。

能力者として生きるのも、弱者として生きるのも、当人の自由です。
恐ろしくてもおぞましくても、自分の眼で見ている現実から目を逸らさずに、それを信じて判断し、行動を選択すれば良いのです。

あなたが嫁に財布を盗まれた気がするなら、嫁と息子を家から追い出せばよいのですし、上司にバカヤローと罵倒された気がするなら、今すぐ会社を辞めればよいのです。
自分は天皇の末裔のような気がするなら、民のために五穀豊穣や無病息災を祈り、質素な生活を営みながらボランティア活動に精を出せばよいのです。
白馬の王子様が迎えに来てくれる気がするなら、白馬の王子様がいつ来ても良いように、ダイエットをしたり教養をつけたりして自分を磨いて待っていればよいでしょう。
自分が神であり、新しい宇宙を作らなければならない気がするなら、まずは瞑想修行をして、物理法則を自由に操る力を身につけるために山に篭ってヨーガの行者になりましょう。
海賊王に俺はなると決めたなら、薬を飲んで主に寝て過ごしているのではだめです。船を買うお金を準備するためにバイトをし始めるか、屈強な漁師や水兵から船を強奪するために、筋トレを始めてはいかがですか。
私の妄想は、ちょっと地味なのですが、なぜか自分が岩井寛さんという精神科医のおじさんの生まれ変わりのような気がしてしまっていて、彼が死ぬまでに残した功績を引き継ぎそれを発展させなければ、と思い込んでいます。そのため今まで精神医学や心理学を死に物狂いで学びましたし、現在はその臨床と研究に命をかけてしまっています。頭がおかしいと言われても否定する気もありません。

妄想と行動が乖離している人は、妄想をきっかけにして、理想と現状を一致させるための小さな第一歩を踏み出せば良いのです。妄想が少しでも人生を発展させたり、行動の原動力となるならば、何の問題もありません。

夢と妄想は紙一重であり、現実を見ると恐怖でおかしくなってしまいそうな時は、妄想が、自分を守るために必要な思考である場合もあります。
健常者であるはずの私たちも、「絶対に」中国が日本を侵略なんてするわけがないだろう、「絶対に」中東からの石油供給がストップすることはないだろう、「絶対に」皇室が解体して日本がなくなるなんてことはないだろう、という「妄想」に囚われて生きているのです。誰がボケていて、誰が幻を見ているかなんて、本当は、誰にも指摘することはできません。

自分は完璧に統合されている、と自信を持って言える人なんているのでしょうか。
普通のフリしている人達だって、自分の意思だと思っていたものが実はただの社会的常識だったり、誰かに刷り込まれた価値観だったりして、案外みなさん自我の統合なんてされてません。
統合されていなければならない、なんて潔癖です。
本気で統合を目指すならば、仏道に入り解脱を目指すことをお勧めします。

社会では、あなたが思っているより、みんなぐちゃぐちゃなまま生きているんです。
メンタルに来ない人は、生活習慣病や癌や不妊など、身体的に歪みが現れているだけなのです。
行動に歪みが出る人もいます。歴史に残るような偉大な精神科医や政治家や教師だってみな不倫が大好きですし、彼らが性的に倒錯しているなんてよくある話です。

私たちは、自己の分裂に気付かないまま生きています。何故なら見えないし聞こえないから。
世俗のカオスと真正面から対峙する強さを持ち合わせていないから、社会においては見えないまま過ごす必要があるんです。
私なんてオカルティストのくせして、テレビの心霊写真の特集を観ただけで、目をつむってシャンプーができなくなってしまうくらいなのですから。

感覚優位の猫型の皆さんには、ぜひとも社会の治療圧に負けず、自己を開放し、力強く生きて頂きたいと思っております。人間としての情動を大切にして、妄想家としてお互い頑張って参りましょう。
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