結果を出すために成長を志す必要があるのか?

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コラム
若い頃は

先輩に「成長しろ」と言われた。

あんまり成長したいという願望が無くて
なんでやねん!

ちょっと考えてみたら「成長」の定義があいまいなんですね

小さい時は「成長」とは背が伸び、難しい漢字が書けるようになり
料理ができるようになって、難しい言葉(僕は嫌い)を使えるように
なる事だと思っていた。

私は20代の時に父親の経営する会社が倒産し父親は失踪
当時は厳しい借金の取り立てで、辛い経験をしてきましたが
今ではいい思い出です(おかげさまで)

自分なりに「成長」した証しだと思います。

「成長」=「練習」したかどうかと思っていました。

今思うに「成長」とは

自分の目の前の出来事にどう立ち向かっていくかの
姿勢だと思います、

嫌だから逃げる
弱い人間だからバカにする
困っている人に関心がない
自分では解決できないから悩む
どちらに行けばいいのかわからない

他にもいろいろなことがあると思います。

いろんな場面に遭遇した時は

①相談してみる
②自分自身を客観的に見てみる
③マインドマップに書き出してみる
④その場面を壁だと思うか
壁なら自分に乗り越えられんだと信じる事
乗り越えられない壁は今までなかったかな、
その当時はとても苦しく一人で抱え込むクセがある僕には
屈曲した考え方でしか行動できないんですね。
結果は最悪ですね、
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そのうちわかってくるんです。
ネガティブな考え方をしているうちは
結果はネガティブ

ポジティブな考え方に変えると
結果はポジティブ。

これ、繰り返しの練習みたいでしょ(笑)

要は
すべて自己の生命発露が現在の世界なんですね

そう考えると

自己革命とでも言いましょうか
自分自身の心根を正しくすることが
「成長」だと思います。

ここでは多くを話しませんが
・よく笑い
・すてきな友人と付き合い
・悪口を言わない
・人と接するときは隔たりなく
・感謝の心を忘れず
・利他の精神を忘れず
・人に親切にし
・困っている人が入らっしゃったら
「何かお困りですか?」
・あきらめない・続ける
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まだまだ色々ありますが
こういうことを日常で練習すること
これこそが「成長」だと思います。

だからこれからも死ぬまで
「成長」=「学び」

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