逆境に挑み続けた女性

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昨日津田梅子さんのドラマを見た方はいらっしゃるでしょうか。

津田梅子さんは新5000円札になる方ですよね。

恥ずかしながら自分は昨日のドラマを見て、津田梅子さんのことを知りました。

広瀬すずさんが演じていたのですが、津田梅子さんが広瀬すずさんからの可愛らしいイメージからはかけ離れる強い女性でしたが、演技が素晴らしくて、途中の詰め寄る演技なんかは強さと若干の怖さを感じて素敵でした。

ドラマ自体は船のCGを見たときにあまりにリアリティがなさすぎて、面白いのかな?なんて思っていたのですがとても面白かったです。

気になった方はぜひ見てみてください。


津田梅子ってどんな人?

日本という現実を見ても諦めなかった

目の前のチャンスを逃さなかった

今日の女性の礎


自分が思ったことをざっくり書いていきました。
それでは内容に入っていこうと思います。


津田梅子さんは、日本人初の女性留学生で留学した歳はなんと6歳という若さで留学をされていました。
それから11年間アメリカで過ごした後、日本に帰国されたのです。

小学2年生から11年間ですから、学生生活の全てはアメリカで過ごされたとのことです。
ここまでの経歴からビックリしますよね。
そして学生生活の全てをアメリカで生活すると日本語は忘れてしまうだろうしほぼアメリカの常識が身についてしまいますよね。

そうなんです。
時は明治時代、帰国後辛かったのは、女性には学ぶことが平等に与えられず、男性と同じような仕事が与えられなかったことと女性の社会的地位の低さを感じたことでした。

絶望的ですよね。
この頃の日本はアメリカみたいに女性でも意見を言える状態ではなく、まるで女性には人権がないみたいな感覚にさせられるというか。

ちなみに選挙権というところにフォーカスするとこの頃のアメリカでは女性にも選挙権があったです。こういう時代の変化を目にするとこんなに変わっていくのが普通なんだなって思ってしまいます。

でもここからの津田梅子さんが強かった。
英語教師という立場から女性の社会的地位向上を目指していくんですが、やはり認められず、また学校と意見が合わず自分からやめることもありました。

ここで伊藤博文との出会いから女子学校の創立に携わります。
事態は好転するかに思えたのですが、学校で教える内容は津田梅子がやりたかった平等で誰でも学べる学校ではなく、より良い花嫁になるための教育だったのです。

女性の社会的地位の向上はうまく進まず、行き詰まりを感じた津田梅子はもう一度アメリカへ留学することになります。

二度の留学後、自身で学校を開くことになります。
最初の留学から18年の月日が経った後に女子英学塾という学校で、やりたかった夢をとうとう叶えるのです。

最初は厳しすきて脱落者が多かったみたいですが。。。笑

その後は54歳まで塾長を務め、64歳で亡くなっています。

いかがだったでしょうか?
信念の強くて行動力のある女性です。

津田梅子さんから学べることは
時代的にも今よりも新しいことをやろうしたら下手したら殺されてもおかしくない時代で自分の信じたことを諦めなかったことがすごいですよね。

政府からの干渉を受けないために少額の援助金で運営して、自身も無給の時があったそうです。


諦めない人にはチャンスがころがってくるように目の前のチャンスを掴み続けるために全力だったのだと思います
実は二度目の留学中に生物の研究をしていて、のちにノーベル賞を取る学者の助手をしていたとか。
とても優秀であったということも言えますが、それ以上に貪欲ですよね。

そしていうまでももなく今日の女性活躍に大きな一歩を進めた一人です。

少しでも面白かったやタメになったら嬉しいです。
あなたが健康で健やかな生活が送れますように祈っております。

それではまたお会いしましょう。

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