「問題となる今の世の日本の男たちの心理!💜」🎾🚴‍♀️⚔️🏓⛳😎😍

記事
コラム
💎大人になり切れない男というのは、一口に言えば、
自分一人が生きるのに精いっぱいなのに、社会的責任を負わされて
生きるのが辛くて、どうにもならなくなっている男達のことです。
時に真面目ですが、心は優しくないのです。
社会的には、立派に見えますが、
(全く同じスーツ、作業服と同じ、個性演出皆無)
心が貧しいのです。
心理的に健康な人は、何事も興味から入って、満足して、それらを卒業してきた男の人達なのです。
無責任に快楽を求めて生きる子供の能力しかないのに
社会的には、責任のある立場に立たされてしまう。
子供の心のままで、大人らしく生きられる魔法の杖を求めるが
それも見つからない。
こんな自分がたまらなく嫌だと思うようになればもう出口は近いのですが...!
人生は、次第に厳しくなって行きます。
その時期その時期にするべきことをしないで生きている男が多いのです。
中高年の時に自分を信じられるようになれば、老年期を生きられます。
自分を信じられるようになって老年期を迎えれば挫折はありません。
日本の男は、何歳になっても自分を信じられないままで、老年期を迎え
人を恨んで死んでいく男が多いのです。
生きる辛さが頂点に達しているからです。
アメリカの男親の方が、日本の男親に比べて、
自分のしたいことをして自分に満足しています。
満足しているから、子供に優しくなれるのです。
日本の男親は、我慢ばかりしている男親が多いのです。
だから、わがままな子供を許せないのです。
子供に優しくなれないのです。
世の中を見ると、何も我慢しないで、わがままで怠け者で
安易さに流されて大人になってしまう男が多い。
自分を向上させる努力を怠って、あまり働かないので
給料の少ない男が多く存在します。
その時に、自分は血の滲むような辛い努力だけの人生を送り
その結果、高い給料をもらってたくさんの税金を取られても
そうであっても、全ての安い給料の男からは
税金を取らなくてもいいという気持ちになれる人が
「将たる器」なのです。
もともと経済的に恵まれた男達、親の遺産があるという男たちが
経済的に恵まれない人に優しい気持ちを持つのは当たり前のことなのです。
大抵の男は、見えるものの違いにしか注目しません。
はいはいから、よちよち歩きに変わろうとする赤ん坊が
立ち上がって二、三歩歩くと「わーすごい、もうちょっと」と少し先で
手を差し出します。
しかし、今の社会は、心理的には、こんな幼児にマラソンを要求するようなことをしているのです。
だから、人も社会も挫折するのです。
ひいては、ひきこもる若者も出てくるのです。
そうしたよちよち歩きの大人の男は、必死になって努力しても
その努力したことを認めてもらえずに、怠け者と批判されて
自分はダメな男だ、冷たい男だ、豊かな感情に恵まれなかった男だと、
自分をさげすんで死にたくなるのです。
こういう男達は、こどもの時から喜びの体験がないし、
外側だけを取り繕う事だけを考えるので生きることが辛くなるのです。
やるべきことをした結果、外側が整うのではなく
とにかく外側をつくろうことだけをするのです。
だから、生きるのが辛くなるのです。
自分はこの環境でたまたまの偶然もあったが、とにかく刑務所にも行かず
自殺もしないでここまで生きてきた。
「私がこうして生きていることはすごいことなんだ」
と心の底から感じるようになる。
自分と同じ年ごろで、自分よりはるかに立派な男もたくさんいます。
いや自分より心豊かな男の方がはるかに多いのです。
しかし、その優れた人々だって、もし自分と同じ環境で生きていたら
刑務所に行っていたか、精神病院で立ち上がれなくなっているかに違いない と思ったのです。
男は、水を飲みて笑えるような男になるべきです。
錦(にしき)を着て憂(うれ)えるような愚かな男になってはならないと自分に言い聞かせるべきです。
こういう男は、母なるものに接することなく成長をしています。
故に、心の底に憎しみを持っているのです。
この憎しみの感情を処理することが最大の課題なのです!!!
ここに、よく、コップに半分、水が入っている時に
「半分もある」と思う男と「半分しかない」と思う男がいます。
ない方に注意が行く男と、ある方に注意が行く男がいます。
ではなぜ、水があるほうに注意がいき、別の男は、
水がない方に注意が行くのでしょうか?
それは、不満だからかけている方に注意が行ってしまうのです。
満足していれば、自然と自分が持っているものの方に
注意が行くのです。たとえわずかでも自分にあるものを考えて感謝するものなのです。
人は、満足しているから、健康であることに感謝するのです。
満足しているから食事ができることに感謝するのです。
満足していれば何を食べても感謝します。
満足しているから、この景色を見られることに感謝するのです。
満足しているから、今日一日無事に過ごせたことに感謝するのです。
劣等感があるから、他人と自分を比較してしまうのです。
どこの世界にも、言う事は正しいし、していることも間違ってはいないけれど
多数派になれない男達がいます。
人望がない男がいます。
言っていることもしていることも正しいが、
みんながトップとしての器とみなさない男。
それは、憎しみを乗り越えていないからなのです。
どこの地域社会にも、どこの会社にも、そうした男は存在します。
政治家でもそうです。
言っていることはまともだけれど多数派にはなれない。
どうして、これだけ正しいことを言っているのにと不思議に思うときがあるのです。しかし、力を持てないのは人望のなさなのです。
人望のなさとは、「人柄」の問題なのです。
正しいことを言いながらそれが通らなくて「けしからん!」と言っている人は、心理的に乗り越えなければならないことを乗り越えられないでいるのです。それが人柄の狭さとなって現れてくるのです。
まさに「将たる器」というのはこのことなのです。
将たる器とは、感情的、心理的にどんなに辛くても憎しみを乗り越えられる男です。「許せない」という感情を乗り越えられる男なのです。
今までの辛い過酷な環境に順応しながらも、歪んだ価値観を持っていない男の事です。自らはしたくないことを鞭(むち)うたれてやらされてきたけれども
それでも安易さに流されている人に優しい気持ちをもてる男。
自らは、いじめや虐待に耐えて生きてきたけれども
恵まれて生きてきた人にも優しい気持ちを持てる男。
これが「将たる器」です。
普通は、そこまでされたら「許せないよ」というところまで
痛めつけられても、なおかつ許すから偉大なのです。
なおかつ「自己実現」をするから偉大なのです。
人に好かれることに気を使い、人からの軽蔑を恐れ、
自分を主張できなかったからなのです。
やがて、手探りの中から、わずかな光明をみつけ、
自分と向き合う事ができるようになり、
目的が定まっていないからこれほど悩んでいたという事に気づく。
それから、恨みを消すためには、
「今日は、人から何をしてもらったか」の日記をつけることです。
自分が相手にしてあげたことも、相手からしてもらったことも
覚えていることです。
それで自分というものがわかってくることになるのです。
こういう男は、自分がわがままではないようなふりをしてわがままに
生きようとしています。
わがままでナルシストで自分にしか関心がないのです。
人を愛することができないのです。
とにかく愛されたい。それなのに、まったく逆の立派な社会人を
無理に無理を重ねて演じているのです。
自分が何を求めているかわかっていないのです。
自分が、今砂漠にいるのか、街中にいるのかもわかっていないのです。
「自分が何を求めているかを知ることです」
「あなたを利用するだけの人々と別れることです」
「かえってあの時まではこういう男で良かった」と思える人生にすることです。
こういう男たちに、
「コスモスを楽しみたければコスモスを楽しめるんだよ」というと
すぐに鉢植えを買ってくるのです。
本来、買うのは、種です。
種を植えて、月日が経って初めてコスモスを楽しめるのです。
「あの人は幸せだ、何で俺だけが」というのがこういう男達で
「あの人は幸せだ、俺も幸せになろう!」が
心理的に健康な男なのです!



💎こういう男たちを救う(幸せになる)三つの条件が存在します。
①際立った才能があるかないかではなく
自分の持っている才能を使う事が幸せになった人の共通性です。
それが幸せにつながるのです。
だから、とにかく自分が持って生まれた才能が何であれそれを
使う事です。
今日一日をきちんと生きることです。
これが出発点になるのです。
今日一日をきちんと生きているうちにやがて、自分の才能に気づき
効果的な才能の使い方もわかってくるのです。

②信仰と祈りです。
私たちは、祈りを忘れてはいけません。
自分の信じる事、あるいは信じたいことを心の中で祈るのです。
崩壊した家庭に生まれても、心の支えをそうして求めたのです。
祈りで大切な事は、ただ祈ることで救われるのではないという事です。
「祈ることの中で強くなろうという心の姿勢なのです。」
「自分の心を鍛えるために祈るのです。」
「だから、祈ることで救われるのです。」
ただ神仏に祈るのでは意味がないのです。

③趣味を持つことです。
他人とは関係なく趣味を持つことです。
趣味の世界に入れば、そこは「自分の世界」なのです。
そこで心をいやすことができるのです。
悲壮感でしてはダメです。
楽しく何かをするという事です。


💎救われる三つの条件を実行し身につけることで
女性に対して暴挙をふるう事もなくなるはずと考えている次第です。


💎酒とタバコ
酒とタバコは、昔から存在しています。
昔は、酒を飲むときにタバコは必需品でした。
しかし、本来の活用の仕方は、
「何か満足感を感じた時に、もう一人の自分とその満足感を味合うために
必要なものなのです。あるいは、味を嗜むためにも必要なものなのです。
嗜好性の性質上、ルールとマナーも存在します。
きちんと活用することが必須となっているのです。」
酒もたばこも問題ありという事で活用する人が減っています。
それは、活用の仕方が本来の活用に回帰しているからだと感じています。
イライラ感は、酒とタバコでは、消えません。逆に助長するだけなのです。
現在も存在しているので、良い面を活用することによって
人の心の為になると確信している次第です。💜

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