「アメリカ911~心の変化!💜」🎾🚴‍♀️⚔️🏓😎😍

記事
コラム
💎アメリカ人の心の変化について!(2001年度)
国旗の意味合い、軍事的強さや政治的保守性の象徴から抽象的連帯の象徴へ
「長期にわたる忍耐」と「団結」。
本質的なものに変化有。
全国を優しさが包んでいる。
「よいマナーこそ社会に癒し!」
アメリカは変わった!元のアメリカには戻らない。
喪の期間を得て変わったアメリカは、これまでの行動パターンとは違う動きをしていく。
「優しさ」と「連帯感」を忍耐のパワーに変えるとき、本当に新しい歴史がスタートする、そんな予感。
リスクをとりながら判断を下す勢い。
ずっと先を見て、立場の異なる人の存在をも考慮に入れる。
アフガニスタン領内タリバンの戦略拠点への遠隔爆撃実施。(10/7)
貿易センターに勤務していて避難ができた父親のいる家庭では、
そのお父さんは家に帰っても書斎にこもったきりでまして事件の事は一切語らない。
その一方で小学生の姉弟は犠牲になった父親の上司の亡くなり方について
子供同士でいつも話し合っているそうです。
アメリカの草の根は、激しい分裂には至っていない。
ですが、軍事行動是非、中東政策の行方、
バイオをはじめとする国内テロの恐怖との戦いとその効果の問題
そして、FBIの活動への期待とプライバシー問題の不安
国論を分裂する要素は、計り知れない。
そんな中で、傷ついた草の根がとりあえずは対立を避けながら
現政権の対応を信じていこうとしています。
11月には、このスローガンの切手も出るそうです。
誰も経験したことのない事態が続きます。
誰もが真似ではない自分自身の判断で動かざるを得ず、
その中で規制のイメージを破りながら、仕事をする人も出てきています。
NYのジュリアーニ市長は、その最もたるものでしょう。
事件後毎日のように夜遅くまで現場で指揮を執り
夜の10時ころからその結果として市民に伝えなくてはならないことを
記者会見で説明をする。
毎晩ほとんど原稿を用意する暇もなく会見を続ける市長のリーダーシップ
にNY市民は心の支えを見出していました。
事件後三週間が経った頃でしょうか。
その晩の会見は、それまでにも増して、厳粛な雰囲気でした。
「今日は本当につらい話をしなければなりません」と。
「行方不明のご家族を必死で探しておられる大勢の皆さんの中でも
ご自分たちの人生と生活を先の進めることを考え始めておられる方が
出始めていると思います」
そのために不明者への死亡証明書の申請を受け付けるというアナウンス
でした。通常は3年の期間を必要とする行方不明者の死亡認定申請を
今回に限って即時にNY州地裁へとりつぐというのです。
誰もが言いたがらない辛いニュースを熟慮の上で穀然としかし的確な
タイミングで話す市長に、市民は、圧倒的な支持を寄せました。

通常郵便を使った炭疽菌のバラマキ行為は、次から次へと感染者が増える一方で、真相は不明のままです。
「911」の不明者の家族で、日本の外務省の「24名」にも入らず
アメリカのコミュニティーの癒しの恩恵にもあずからない人々の個別の悲劇
まして遺体の確認のできないままに愛する家族の死を受け入れていかねばならない時間のかかる作業は、日本社会も米国社会も助けていないのではないでしょうか。遺体の確認という「目に見える形」にこだわる日本人の死生観は
正しく米当局に伝わっているとは思いません。
911の不明者の悲劇は、もはや国家やマスコミと通じた日本社会とは
切り離されたところで、わずかな家族や友人たちの間で静かに
悲しまれているだけなのではないでしょうか。
そうした悲劇が社会によって共有されないまま「政治」だけが進行しているのです。「テロは、悪いから軍事報復で叩きのめす」
「アメリカの奢りや中東での不正が遠因だ」という意見のどちらも
被害者の家族の心を傷つけるものに他なりません。
アメリカ社会がこれまでの国論の二分を避けてきたのには、
社会を維持する大人の判断や、
泥仕合をきらう気取りだけではありません。
家族や被災者の心の傷の深さを思うとき、露骨な政争には常に
躊躇する心理が働いてきたからなのでしょう。
前例のない事態に対して、日本は、部外者なのでしょうか?
そうではないと思います。
それは、貢献せよとか、募金に参加せよとかという意味ではありません。
日本としても前例のない問題を抱えており
この複雑な国際社会をどう理解して問題を解決してゆくかの議論に
参加するだけの材料も義務もあるように思うという事です。
例えば、オウム真理教のテロ問題があります。
故に、この問題ではまさに日本は先進国です。
正解にはまだ至っていませんが。
ですが、日本なりに世論が苦しんだことは、事例として国際社会に
提供すべきです。
1999年の暮あたりによく言われていたのは、
「ネット関連会社の売り上げは、向こう10年で十倍にも百倍にもなるが、
10年後にコカ・コーラを人類が十倍消費することはないだろう」
だから「オールド・エコノミー」株を売って、ハイテクを買おう。
そういう事でした。
ですが、その後2年を経ずして、
「ネット関連のサービスにそもそも消費者が代金を払う」ことが
疑問視されて多くの会社が破産法申請へと追い込まれる中で
逆にコカ・コーラの株は上昇。
そして、民主党政権下では長期低落傾向だった軍需産業も復活という訳です。
そして、ハロウィンが一応無事に終わり、スポーツに本格的に熱が入ってきました。アフガン情勢は別にして、だんだんと世論は、「日常に」もどってきつつあるようにも思っている次第です。
ことに癒し関連では、エンヤのCD、ハリーポッター狂の出現
現実逃避は、悪いことではないのです。
911の悲劇から2か月半が経ち、この間にまるで何年もたったようでもあり
それでいてあの火曜日の青空が昨日のようにも思えるのです。
感謝祭の一日は、静かに過ぎていくのでしょうか?
そしてどんな空模様になるのでしょう。
いずれにしても、911以降の緊張感が色あせて日常が戻ってきました。
政争も怒れる10代も元通りです。
ですが、緊張感が緩んだ背景には、ばかばかしい程の火力を投入した
タリバン殲滅作戦が「順調に」進んでいることがあるからです。
炭疽菌騒動もここにきて少し鎮静し、飛行機事故もあっても新たなテロは、
なかったという安心感もありますが
やはり戦勝あっての安堵感であり日常意識の復権なのでしょう。
そう思うと、やりきれなさと頼りなさを感じざる負えません。
タリバン勢力は、崩壊寸前となりました。
戦勝に安堵しての言論の自由は、脆弱と思いましたが
これに景気の好転が結び付くと話は違ってきます。
こうなると怖いものなしで言いたいことが言えるムードになるから不思議です。
最後に、アメリカの人々は、あのテロをどういうふうに受け止めようとしているのか?
マスメディアの報道では、「怒りと悲しみ」が強調されていました。
それは当然と言えば当然ですが、個々の人々がどういうふうに悲しみを受け止め、怒りを表現しようとしているのかそれを誰でもがしりたいことなのではと思っている次第です。
なぜならば、怒りの表現と悲しみの受け止め方は、
アメリカの世論となり、政府の決断を支えることだからです。


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