「魔がさすという不安!💜」🎾🚴‍♀️⚔️🏓⛳😎😍

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コラム

💎(人がふと痴漢になってしまうときとは⁈)
中年の真面目なサラリーマンが通勤電車で女の人のお尻に触ったり、
デジタルカメラでスカートの中を盗撮したり、
いたずら電話をかけたりして捕まったりする事件が頻繁にありました。
電車の中で、手を後ろに組んでいるとか、荷物を両手に持つとかしている人もいるらしいのです。
痴漢と疑われないようにという予防措置でしょうけれど、
自分が実際にそういうふうな事を無意識にやってしまうのではないかという
不安を持っている人も案外多いという事なのです。
ある衝動のようなものを心に抱えている。
抑圧されているものが、ある瞬間、ポット飛び出すのです。
真面目で律儀で堅物で通っているような人がそういうことをします。
周囲の人は信じられない、理解できないという事が多いのです。
今までも陰でこそこそやっていたとか、あの人は、やりそうだったとか
言うのではないのです。
たとえば、電車で痴漢をして捕まったら、会社は首になるし、家族にもひどい迷惑がかかります。
今まで気づいてきたものがたちまち崩れ去ってしまいます。
そういうことがわからないはずはないのに、衝動的にやってしまうのです。
魔がさしたとよく言われますが、
まさに自分でないものが自分を乗っ取ってそういう行為をさせてしまったという感じなのです。
痴漢だけではなく、万引きもあるでしょうし、銀行や証券会社の社員が
遣い込みをしたり、普段は誘惑とさえ考えていないものに、
突然手を伸ばしたくなる。
人事に不満を持っていたり、リストラにおびえている人間が突然
上司を殴ったりするかもしれません。
魔がさすというと、いつも真面目な人、いい人が逸脱した犯罪行為を行う
という事を言うのです。
宗教がらみですがいまでは会社などでもこういうことが多く起こっています。
熱狂を帯びた魔がさす状態は、比較的長く続きます。
覚めてから振り返ると、”どうしてあんなことをしたのだろう”と思うのは、
真面目な人が痴漢行為をするのと同じ感覚のような気がします。

時代が大きく変わろうとしている時、あるいは
逆に時代が長く停滞している時 (バブル崩壊後時代)
変化を加速したり起こしたりするきっかけとして、
「過激な祭り騒ぎ」のような運動が起きます。
その時代に生きている人が時代の雰囲気を肌で感じて
一斉に”魔がさした状態”になります。
こういうことは人間の長い営み、歴史に必要な事と思えるのです。
魔がさすのではないかという不安は、
こういう大きなお祭り騒ぎへの期待みたいなものが背景にあるのでは
ないかと思っています。
一人一人に、自分が意識していない抑圧があって、それを解放従っている
だから、うごめき、疼きというものがあって、それを「不安という形」で
心が信号を出しているのです。
その信号を受け取って、どうするかは、各人が考えることなのです。
電車で痴漢をするのではないかと不安になり
電車に乗れなくなるという事だってあるのです。
そうならないためには、「不安のシグナル」をきちんと受け止めて
おおもとの原因となる問題を解決しなければなりません。
夫婦間の問題、家族の問題、会社の人間関係の問題があったりします。
そういった問題が見えてくれば、やみくもに不安になっているよりも
いくらか精神は、安定するでしょう。
欲求不満があれば、昔のディスコで踊ってみるとか
マラソンもいいでしょう。
寺で読経もいいでしょう。

浄土真宗の妙好人(みょうこうにん)には、こういう言葉が知られています。
もし、あなたがこれでいいというものをつかんだら
その時には、御開山(ごかいさん)との縁がきれたと思いなさい。
御開山とは、宗祖の親鸞聖人(しんらんしょうにん)の事です。
他力念仏では自分でつかむものはないと考えます。
仏の光は、むこうからやってきて、自分を照らしてくださるのだ、と。
光をつかんだと思うのは”摩”なのです。
それを戒めているのです。

真言宗の宗祖、弘法大使(こうぼうたいし)は、
ある夜明け、口の中に光の玉が飛び込んできた
それが大悟の瞬間だと言われています。
それも向こうからやってきたものを口に受けてです。
自他一如(じたいちにょ)とは、こういうことかもしれません。
同じ日本の仏教でも宗派によってのおもむきの違いが出ているように
感じられます。
時代を大きく転回させていくことを望む気持ちへの不安が、私の中にも
確かにあることを感じないではいられません!!!💜





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