「アルツハイマー物語!💜」🎾🚴‍♀️⚔️🏓⛳😎😍

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コラム
最初に異変に気付いたのは、三年ほど前でした。
そのしばらく前から、夫の物忘れはひどくなっていました。。
話している最中に肝心のテーマを忘れてしまう。
土地や人の名前が出てこない。
どれも妻の私にとっては、首をかしげる程度の問題であって、
深刻に考えたことはなかったのです。
だれだって五十を過ぎれば、物忘れが激しくなるものです。
そのくらいの軽い受け止め方しかしていなかったのです。
今にして思えば、うんと早い時期に医者に診せていれば、
症状の進行を少しは遅らせることができたのかもしれません。
ある日、主人にパンを買ってくるように頼んだのです。
「わからなくなった」
「パン屋への道が、わからなくなった」
「おれの脳みそは、どうなっちまったんだ」
病院へいくことに、脳神経科のある病院へ。
若年性のアルツハイマー病の診断がおりたのは、一週間後の事でした。
医者の言葉で、五十代でアルツハイマー病にかかる人がいることを
始めて知りました。夫は五十六歳です。
年下の医者は、治るとは言いませんでした。
がんばって、進行を遅らせていきましょう。
新しい薬も次々と開発されていますので。と言われました。
マンションに帰ると、夫は
「疲れたから、すこし休む。ちょっと一人で考えさせてくれ」と。
アルツハイマー病の原因はまだよくわかっていないといいます。
脳の神経細胞が委縮していく。
そこに特定のたんぱく質がたまるので、それが原因ではないかと疑われています。手術での効果は期待できない。
特効薬の存在もなし。今現在はどうでしょうか?
死亡率は、悪性腫瘍を上回っています。
どうやって病気を治すかではなく、
後どうやって残された時間を夫と過ごすか。
それしか自分たちにできることはないのです。
この病は、その先があるものではなく終わりの始まりの病気なのです。
「あなた、どんな病気になっても大好きだから」
「わかっている。いくら頭がボケてもそれくらいはわかるさ」
ある日、酔いつぶれて帰ってきて、玄関で倒れてしまった夜
夫と一緒に狭い廊下で体を丸くして眠りました。
翌朝「こんなところで眠っていたのか。おれなんかほおっておけばいいんだ」
「ほおってなんかおけないよ。どんなに荒れてもいいし、どこで寝てもいいから、私たち夫婦なんだから。」
「もうこれ以上会社に迷惑はかけられない。おれ仕事をやめようと思う」
「わかりました。長い間お疲れ様。じゃあ、これからはずっと二人なのね」
「そうだな、だんだんぼけてくおれなんかと一緒ですまない。
つまらん人生だな」
私は、返事をしませんでした。
この人の残りの時間をすべて自分のものにできる。
それがただうれしかったのです。
けれど、毎日出勤しなくてよくなると、夫の症状は急速に進行しました。
着るものに構わなくなり、いつも同じセーターと綿のパンツをはいている。
老人のように独り言を繰り返したり、ぼんやりとなにもない空中を見ていることが多くなったのです。

ある日、
「そういえば、今日は何日だっけ」
「勤労感謝の日よ」
「いや、そいつはよかった」
「どこに行くの」
「うちだよ」
「きょうは、何かあったかしら」
「今日は、これからデートなんだ」
「なにを冗談言ってるの、一人で出かけるのも難しいくせに」
「古女房相手に時間を無駄になんかしていられない。さあ、帰るぞ」
夫の余裕の表情が小憎らしかった。
ぐいぐいと引き立てるように夫は自宅に向かっていくのです。
いったいこの人は何がしたいのだろうか。
一人で外出するなど、とても困難な状態なのに。
デートで女性をリードするのは、いまの夫には七桁の数字の足し算よりも
難事業のはずなのに。
私は、不可解な気持ちで、夫についていったのでした。
「シャツはどこにある。」
「あなた、本気でデートに行く気なの」
「本気も何もない。今日の三時に待ち合わせをしているんだ
素敵な人だ。きっとお前も気に入るはずだ」
どうして、自分が夫の浮気相手を気に入らなければならないのだろうか。
失礼な話です。
「今夜はあんまり遅くはならないと思う。じゃあ、いってくるから」
「それより、今日はどこで待ち合わせしているの」
「秘密だけど、教えるよ。銀座だよ。待ち合わせの場所は、和光の前」
和光の前?それも勤労感謝の日に。
私の心にひとつひっかかるかることがありました。
「迷子になったら、携帯に電話してね」
「はいはい」
私もスーツに着替えました。
(あの人はもしかしたら...)
胸が騒いで仕方がありませんでした。そして、出かけました。
私は、和光のビルに目をやりました。
ショーウィンドウの前に、夫が立っていました。
(そうだ。あの日もやはり三時だった。)
私は、自信に満ちた足取りで夫のもとに向かいました。
「お待たせしました」
「待ってなんかいませんよ。こちらも今来たばかりだから
塚原さん、そのスーツ素敵ですね。さすがにセンスがいいな」
歯の浮くような誉め言葉でした。
結婚前の夫は、こんな話し方をしていたのだろうか。
もう結婚して三十年近くになるので、そんな昔のことは忘れてしまいました。
でも、この人の頭の中では、現在も過去もないのだろう。
その証拠に私の事を旧姓の塚原と呼んだのだから。
夫との最初のデートの待ち合わせの場所でした。
この人には、現在の妻と二十代半ばの独身の私の区別がつかないのだと思いました。
夫は「さて、今日はどうしましょうか。
よろしかったら、ちょっと銀ブラをして、お腹が空いたら寿司でも食べに
行きましょう。なかなかうまくて安い店を知ってるんです。」
記憶は、不思議なものです。
この人は、あの時の青年と同じセリフを繰り返しているのです。
「じゃあ、デパートでものぞきますか」
夫が先に歩いていく。
私は、人生の半分以上をともにした夫の後を弾むように着いていったのです。
二人のもう若くない男女は二度目の初デートをたっぷりと楽しんだのです。
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