「好きなことをやれ」の功罪

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マネー・副業
「好きなことをやれ」というアドバイスをよく聞きます。まったくその通りですが、好きなことをやっても喰えないので「好きでもないこと(喰えること)もしなければならなくなる」ことが多いのではないでしょうか。マズローは欲求段階説で6つの普遍的欲求を上げています。「生理的欲求(第一段階)」「安全の欲求」「帰属の欲求」「承認の欲求」「自己実現の欲求」「自己超越の欲求(第六段階)」ですね。このなかで「好きなことをやりたい」というのは第五段階の「自己実現の欲求」に属します。しかしそれだけでは喰えない。つまり第二段階の「安全の欲求」が満たされないので、まずはより根本に近いお金の問題を解決しなければとなるわけです。

これは良い悪いではなく、「欲求のメカニズムはこうなっている」という話だと思います。経営組織論でも出てくる臨床心理学者、ハーズバーグはこれを「二要因理論」として説明しています。「衛生要因・動機づけ要因」ですね。人間はまず衛生要因が満たされていなければならない。それはマズローの理論でいうと「生理的欲求」「安全の欲求」「帰属の欲求の半分くらい」だと言えます。これらは「ないと不満。不満どころか痛みが大きすぎてとにかく脱出しなければならない」ものです。収入やお金はまさしくそうでしょう。健康もそうでしょう。一方の動機づけ要因は「帰属の欲求の残り半分」「承認の欲求」「自己実現の欲求」「自己超越の欲求」に当たります。これらは「あればあるほど嬉しい」ものです。同時に個人的な嗜好性に委ねられる欲求でもあります。

最近の世の中は「格差社会」と言われ、世界でも日本でも衛生要因(特に経済的な安全欲求)が満たされない人が多く出てきています。大きな痛みのなかで不安定な生活を続ける人たちです。この人たちにまず必要なことは経済的な安定に他なりません。なんとか脱出しようと努力をするのですが、皮肉なのは頑張っても結果が出ず、むしろ「頑張ったがうまくいかなかった」「何をやっても無駄なのだ」という「学習された諦め」を生むこともあります。または「好きなことをやっても結局、喰えなかった」という学習もすることでしょう。「自己責任や自助努力」を前提にする社会では「うまく行かなかった結果」は自分の努力不足であり自分の責任なのだとなりがちです。周囲もそう見ることは多いでしょう。でもこれは「優しくない社会」だと思います。本当に価値のある社会とは「能力があってもなくても、努力が足りなくてもちゃんと人間らしい生活をできる社会」だと思います。自分の目の届く範囲でいいので、そういう人を見放さない、気遣いをするこころが必要なのだと思います。僕も身近なところからそれを続けています。

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