最近気になった事、「時間」について書いてみたいと思います。
私の家の居間(リビング)には一つだけ時計が存在しています。
壁掛け時計ではなく、目覚まし時計のような置き時計なのですが、理由もなくく、無意識に、その時計を隠すような行動をしてしまうという自分に、最近気付きました。(置き場所を変えても、その前に物を置いてしまうという自分的謎行動です)
元々、時計はあんまり好きでは無かったというのもあるのですが(カチカチ音も苦手なので音がしないものを選んだり、腕時計を買ってもすぐに飽きてしまったり)
という訳で、今回改めて「時間」について取り組んでみたところ、こんなワードが出てきました。
『約束』
人と合うためには時間を合わせる(決める)という事が必要だし、時間通りに交通機関が動いていると助かりますし、仕事なんかも多くは時給での契約(約束)だったり。
とここで、意外な問いかけが自分の中に浮かんできました。
『私はこれまで、外側との約束は出来るだけ果たしてきたけれど、自分との約束は果たして来ただろうか?』
時間が無いから、明日早いから、もう遅いから、食事の時間だから、友達と約束しているから、仕事があるから、予定があるから‥etc
そんな言い訳の言葉が多数浮かんできて、他者優先、外側優先で生きてきた自分に改めて気付きました。
『外側を優先し、自分を蔑ろにする』
その象徴が「時計」だったみたいです。(だから、時計を遠ざける行動を取っていたらしい)
ちなみに、自分だけならば、時間というものは必要なのか?と問いてみたら「不要」というワードが出てきました。(子どもの頃の「夢中になって遊ぶ姿」を思い浮かべれば、確かに不要だと思えました)
他者(外側)との約束=時間(時計)
であるならば、外側との約束が無い時は、出来るだけ自分との約束を果たすべく、時間を意識しないようにしようと思った次第です。
SORA
※他者との間(擦り合わせ)に存在する時間は「一定」とされていますが、
自分の時間は「(心臓の鼓動による)可変性」である。ということも改めて思いましたよ。