「言葉は時に人を傷つけるんです」とか言いますけど、己の言葉が“悪意のある言葉”として受け取られる覚悟はなかったりしますよね。

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だから、そう言うのは、
偽善なのです。


偽善(ぎぜん) とは?
うわべをいかにも善人らしく見せかけること。また、そういう行為。「—に満ちた社会」⇔偽悪。

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偽悪(ぎあく) とは?
《「偽善」に対してできた語》わざと悪を装うこと。「—趣味」⇔偽善。

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まぁ、責任逃れ。とも言います。

「善」が、責任を取ってくれる。と思っている訳です。


平たく言うと「常識」と言う言葉の使い方に近いかもしれません。

「それが常識でしょ」

と言えば、説明や追求を逃れることができるからです。


まぁ、本人がそう(己に責任はない・逃れられた、と)思っているだけ。ですけどね。

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HOME > スピリチュアル > 意味 > 『罪と恥と地獄』人を傷つけた人、苦しめた人の因果応報&末路

因果応報とは人に罪を与える仕組みではありません。

等価性によって責任を持たせるためのものであり、「あなたが始めた行為の責任を持って、自分で終わらせましょう」という自然の原理です。

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