これまでの37年間を振り返ってみて思う事②

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コラム
 さて、これまでは小学校時代~高校時代までのエピソードをざっくりと進めてきましたが、前回までのポイントとしては、昔から親に言われ続けてきた勉強に対する思いが、本人の意思で勉強をやっているのではなく、他人(親に)によって動かされたもので、そこに人一倍強い承認欲求が生まれました。親や親せきに喜んでもらいたいから勉強をする、ということですね。

ですが、勘違いしないでほしいのが、承認欲求を否定するつもりもありません。人間は多かれ少なかれ、他人から認めてもらいたいという欲求が機能として備わっているからです。勿論、親にだって喜ばれたい気持ちは子供ながら誰にだってあったりします。 
 ただ、僕の場合、勉強以外にも、何か行動をするにしても、親の判断を仰いだり、前回の高校の部活の話もそうでしたが、自分の意思で決めきれず、結局知人がいるというだけでバスケ部を選んだわけです。他の人と比べ、何をするにしても、絶えず、人の視線や言動を気にしながら親の判断を基準として、生活していたわけです。そういう人間が陥いりがちな危ない思考パターンが、「何とかなるやろ」です。

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 確かに人生はなんとなかります!僕も今現在、からだの調子は抜群にいいし、日常生活も満足しております。(実際になんとかなったわけです)。ただ、当時高校を卒業した当時の僕は親の判断で浪人を決め、その後は国立の工学部に進学しました。 

自分の人生なのに、自分で建てた人生設計ではなく、あくまで親が設計したレールの上に乗っかり学生時代を過ごしていました。「単位は落とすなよ」とか「就職に有利な資格をとれ」など。 あながち間違った設計ではないのかもしれませんが、肝心なのは小さなことも含めて、どれも自分で決めてこなかったことです。当然自信もなくりますし、迷ったときには親に聞くという恥ずかしい姿。
 このように、自分で決めてこなかった自分の人生に対しては「何とかなるっしょ」は本当に通用しませんでした。

本当にそれを思い知らされたのは就職活動です。今まで行動してきた”行動の基準”が”親に基づいている”ため、希望の会社への志望動機なんて他人に言わされているかのような薄っぺらい内容で、当然何十社も落とされました。こんんなにダメなんて、なぜ?
答えは簡単です。今まで親の用意したレールの上に乗っかっているだけで、自分の頭で考えてこなかったからです。
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