これまでの37年間を振り返ってみて思う事①

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コラム
皆さん、今夏如何お過ごしでしょうか?


ココナラでの記事更新は約半年ぶりになります。
前回までは心の健康の秘訣・維持について、書かさせて頂きましたが、
ここまで更新が遅くなったのは、web作成の為のHTML、CSSについてずっと勉強しておりました。(いままでの生活リズムや食生活は記事で紹介した内容を今でも実践しています。おかげさまで、体調はかなり安定した状態で記事を書いております。まさに継続は力なりです!)

 さて、何故、今になってwebサイトの作成に興味をもったかといいますと、ココナラで記事を書いていて、もっとあれこれ自由にデザインできたらいいなぁという思いと、視覚的なモノづくりを一から始めてみたかったからです。WordPressも以前は使用しておりましたが、(また、Youtube用の動画をPower directorという専用ソフトで編集もしておりました)自由にコ-ディングができるwebサイトを作成してみたいと思いました
私が学んできたHTML、CSSはまだ人には言えないくらいの初歩的なことばかりですが、備忘録も兼ねて、後々紹介したいと思います。

他人からの承認欲求の始まり

話がそれましたが、本題である、これまでの37年間について小学校時代から振り返ってみたいと思います。(ホント、チラシの裏にでも書いてろ、と言われるような、どうでもいい&個人的には恥ずかしい内容ですが。。)
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まずは家族構成ですが、祖母(父方の母)、父、母、兄そして私の5人家族で、家庭環境はといいますと、父、母ともに勉強において”勉強面において”スパルタ的でした。
小学校の頃は家から帰ってくるなり、「宿題は?」と言われることは日常茶飯事。家族団らんでテレビを見ているときも、テレビCMになると、側にいる父に「今度のテストはいつだ?」と半ば脅される感じでした(笑)
私「〇日だよ」⇒父「ちゃんと勉強しているのか?悪かってみされ、承知せんぞ!」⇒私「。。。」
(時代が時代ですから、親からの暴力なんて当時はそこまで大きな問題になってませんでした)

塾に通わされたり、また父が工業の先生ということもあり、父から直接”指導”もしょっちゅうありました。
”指導”中に答えを間違えると、頭を引っぱたかれるのは当たり前でした。 


これで実際に悪い点をとると、両親からビンタされてました(笑)
(親ってこわいなぁ~)
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その点、兄貴は利口でした。上手くかわす術を(どういう風に言えば親の怒りを最低限に抑えられるか)その時から身につけており、正直、怒られている場面をあまり見かけませんでした。(多分、私が怒られているところから学習したんですね)

しかし、そんな両親もムチだけでなく、”飴”もちゃんともっておりました(笑)
当時小学2年の秋頃、朝早くに兄貴に起こされて、「こっちにきてみろ!」
と言われました。(ちなみに兄貴とは2個違いです)
なんなんだよ~と眠たい目をこすりながら、兄貴のいる場所にいくと、、、
そこにはなんと!スーパーファミコンとマリオカートのカセットが置いてあったのです。。

あの父に”こんな側面”があるなんて本当に信じられませんでした。。。
(正直、誰がこんなことを??って検討もつきませんでしたから)

心の底からマジか!!と叫ぶとともに、兄貴と目を合わせ、お互いに満面の笑みで抱き合ったのを今でも忘れません。。
(今この記事を書いていて、胸が少し踊ってますw)
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(↑この箱が父の書斎に置いてありました)


父に、”あの箱”について聞くと、照れくさそうな表情で「ん、まあな」とだけ言っていましたが、本当はちゃんと言葉として言い表したかったんだと思います。

「毎日キツくあたって悪かったな」と。

でも、教育面においてのスパルタは変わらずでした。常に勉強を第一に考え、次のテストでいい点をとることが一番大事だと。。(親にとっての喜びが自分の喜びなんだと勘違いしておりました)

勿論、学校でも友達は普通にたくさんいましたが、小学校高学年、中学と時が進むにつれて、頭の中では勉強が一番だという思いが強くなり、友達と遊ぶ時間よりも勉強する時間を優先するようになっていきました)
(ここでのポイントは自分の信念ではなく、”親から言われたから”勉強しなければならないということで、これが他人からの承認欲求の始まりでした)

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対人関係が急に築けなくなってしまった高校時代


そして、勉強の甲斐があってか、念願の志望高校に入学できました。

しかし、なんか入学してみても全然楽しくないんですよね。。小学校、中学校の入学時とはまるで違う、”異質の空間”にいるような、そして胸苦しさ。
しまいには、教室にいると、過呼吸になりそうになり、無我夢中で教室を飛び出したのを今でも覚えています。
(今まで普通に築けてきた人間関係が急に築けなくなってました。今思えば、やはり友達と遊ぶ時間を減らしたことが一つ原因になるのかなと)


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そんなある日、部活はどこにするかという話がでてきました。周りは知らない人ばかり、知っているのは中学時代からの知り合い、、でもそこまで仲が良かったわけでもない人。

当時は、ホントにその”異質な空間”にいるのが嫌で、中学からの知り合いがいるところまでいって会話ばかりしていました。(でもそれはそれで結構苦痛でした。だって、仲良い訳ではなかったですから)
当然、部活も知り合いがいる部活にいこうということで、バスケ部を選びました。本当はバスケなんてまったく興味なかったし、また中学時代はテニス部だったので、テニス部に行きたかったのですが、知り合いがいないという理由なだけで、バスケ部に入部したことを今でも後悔しております。

人生は選択の連続。そしてその連続の選択をし続けた結果が今の人生になっている訳ですから、あの時、テニス部に入部してたらまた違った人生だったという事ですから。。

でも、そんなことを気にしていても過去は変えられないですし、逆をいうと、バスケ部を選ばないと今の自分がなかったわけですから!

つまり、現在進行形の今の自分に満足しているならば、過去を選択してきた自分を肯定することも可能なわけです。
あの時これを選んでなかったら、今の現状に満足している自分に出会えなかったと

でも、勿論、全部が全部過去を肯定なんてできませんよね。当然、嫌なことや辛いこともありますし、「いやぁこれはどうみても失敗だったな」と。
でもそれはそれでいいんです。もしかしたら、その出来事があったから、そこから色んなことを学習して今の自分に出会えたと思えばいいわけですから。

ポイントなのは、過去は変えられませんが、過去の見方や捉え方は変えれるわけですね。
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