誰にも悩みを話せなかった私が学校の先生に「何でも話してくださいね!と言われて救われたお話

記事
エンタメ・趣味
こんにちは、こなきあです。

4月に入ってすぐ、
誕生日を迎え1つ年を重ねました。

誕生日当日は仕事だったので、
いつも通り過ぎたんですが、

誕生日が過ぎてしばらくしたある日

「ママ、私も一緒に買い物行く~」と

食材を買いに出掛けようとする私に、
娘が声をかけえてきました。

食材の買い物へ一緒に行くなんて
珍しいこともあるものだ。

なんて思いながら、一緒に出掛けたのですが、
車に乗っているときに娘から

「ママさ~欲しいものある?
ママの誕プレ決められないから、
ママの欲しいもの買うね!」

続けて、
「欲しいもの何?」と言われました。

誕生日プレゼントを貰えるなんて
ぜんぜん思っていなくて驚いた私は、

思いつくものがぜんぜんなくて
「いいよ~。気持ちだけいただきます!」と
一度は、辞退したんですが、

娘が引き下がらず、
「じゃあ、最近ママが気になってる、
ファンでとか美容液とかにしたら?」
と提案もしてくれたので、

最近、SNSとかで見て気になっていた、
ファンでやパック、美容液などを
買ってもらうことにしました。

商品を選ぶとき娘が、
ネットで口コミを見てくれたり
私世代に合うものを教えてくれて
すごく嬉しかったです。

娘が私の誕生日プレゼントを、
一緒に選んでくれ買ってくれたことは、
もちろん嬉しかったんですが、

違う意味でも
私はとても嬉しかったんです。

少し前までの私たち母娘には、
笑顔で会話することや、
一緒に買い物へ行くことが
できない日々がありました。

プロフィールにも書きましたが、
娘は高校生のときにいじめにあい、
不登校の時期がありました。

昨日までいつも一緒にいた子から、
突然、仲間外れにされ、

人間不信になっていて、
話す言葉も常にマイナス思考ばかり。

私に対しても、
「どうせ私なんて。」や
「居ても居なくても関係ない!」
「心配してもらう価値もない。」など

淡々と言ったり、
ときには、
声を荒げて叫ぶように言ったりしていました。

私はどうしていいのかわからず、
「そんなことない。」
「何かあるなら話して。」
「娘を心配しない母親なんていないよ!」
同じような言葉を繰り返していました。

会話に笑顔はなく・・・
まあ、会話というよりは、
どちらかが一方的に話して終わるでした。

あの頃の私は、
娘が何か言うたびに、
励ますような言葉を言いながら、
心の中では、

「もしかしたら学校で嫌なことがあるのかな?」
「まさかだけど、いじめ?」
「娘に聞いてみようか?いや、話してくれないか。」

自問自答を繰り返すだけで、
誰にも相談できずにいました。

あの頃の私は、

いじめられていることを、
認めたくない!認めたらダメだ!

いや、そもそもいじめられてるか
どうかも聞けてないのに決めつけるのは良くない!

誰かに話すとか、相談するなんて、
しちゃダメだ!してはいけない!

なんだか変な思考になっていたんだと思います。

いつだったか娘が、

「ママに心配されるのが嫌って言うか、
いじめにあっていることを知られたくな!
いじめられてること話すの恥ずかしい!
みたいなことを思ってたんだよね。」

とあの頃を思いを話してくれたんですが、

私が変な思考になって誰にも話さなかったから、
娘の考えや思いに気付いてあげられなかったんだな。

相談じゃなくても、
誰かに話を聴いてもらって
考えや思いを整理することができていれば、

娘の考えや思いに
早く気付いてあげられてたかもしれない。
自分の変な思考のせいで
娘に申し訳ないことをしたと思いました。

娘の不登校が常習的になってきた頃、
学校の先生と話す機会があったのですが、

「子供は親に心配されたくないから、
学校でいじめられていることを
親に話さない子がほとんどなんですよ。」

と教えてもらいました。

「それから、
子供から無理やり話を聴きだそうとはしないで、
話したくなったら話してね、何でも聞くよ!って
雰囲気でいてあげてください。」

と言われました。

難しいこと言うな・・・。
と思いましたが、

そう教えてくれた先生が、

「お母さん、
今日は何でも話してくださいね!
娘さんの話でも、お母さんの話でも、
何でも聞きますから!そのあと、
娘さんのこと一緒に考えましょ!」

私が学校で先生に会った最初に
そう言ってくれたことを思い出しました。

先生から娘のことで話があるので、
学校に来てほしいと言われたときから、

「出席日数のことや進級のこと、
単位が足りないと言われるんだろうな。」

先生が一方的に話して、終わり。と
勝手に思っていたので、

「娘さんのことだけでなく、
お母さんの話も何でも聞きますから!」

その言葉は拍子抜けしましたが、
1人で悩んでいた私には「救いの言葉」でした。

娘から誕生日プレゼントを貰って、
嬉しかった!の話から、
だいぶんそれてしまいましたが、

私たち母娘にいま笑顔があるのは、
間違いなくあの先生の「救いの言葉」があったから。

私が1人で

誰に話したらいいの?
誰に相談したらいい?

そう悩んでいたとき、
先生という「誰か」が来てくれました。

もしもいま、
「誰か」を探している人がいたら、
「誰か」を求めている人がいたら、

私で良ければ「誰か」になります。


長いブログを最後まで読んでくださり、
ありがとうございます。



サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す