本当に満たされてるやつなんて、この世にいないんだよ

記事
コラム


◆何で隙間を埋めるのか


最近、しびれた言葉である。

本当に満たされているやつなんて、この世にはいないんだよ

2016年公開の映画『二重生活』(監督:岸善幸、出演:門脇麦・長谷川博己・菅田将暉)のなかで、長谷川博己さんが吐く台詞である。

映画『二重生活』.jpg


この映画は、直木賞作家である小池真理子の同名小説が原作である。

博士論文のテーマに悩む哲学科の女子大学院生(門脇麦)が、指導教員から「何のかかわりもない人への、理由なき尾行」を勧められ、近所に住む幸せそうな一家の夫(長谷川博己)に対して、それを実行するというドラマだ。

究極の人間観察。

何の目的もなく、ただ論文のために、他人を尾行し、その生活を観察し、体験し、人間理解を深める、というものである。

近所の夫を尾行してみると、愛する妻と子どもに恵まれた幸せな家庭生活がありながら、実は不倫をしていて、二重生活を送っていたことが分かった。

夫は、女子大学院生の尾行に気づいて、「なぜ、尾行しているのか」と問い詰める。そして、彼女の目的を知ったあと、いくつかの問答があった末に、彼が吐く台詞が、冒頭のものである。

本当に満たされているやつなんて、この世にはいないんだよ

何のことはない言葉ではある。
だが、心に深く刺さった。

「満たされているやつなんていない」

確かに、そうかもしれない。みんな、何かで心の隙間を埋めている。
埋めていることを忘れてしまったような人もいる。
埋めていることを隠そうとする人もいる。
埋めていることを自覚しながら、その作業を続けている人もいる。

ココナラで出品されているクリエーターの皆さんには、僕と同様に刺さる言葉なのではないか。


◆表現と心の隙間


創作する、表現する、ということは、ただただ才能からあふれ出ている場合もある。しかし他方で、表現したりすること自体が、心の隙間を埋める作業ということがあるだろう。

僕も、かわいい子どもに恵まれ、仲はあまり良いとは言えないが、信頼できる妻がいる。会社は安定していて、それなりの収入がある。
週末は、家庭のパパとして、子どもの習い事の送迎をしたり親友達とバーベキューをしたり、あるいは家事をしたり子どもの勉強をみたりしながら過ごしている。

ある意味、とても幸せだと思うのだが、この生活だけを「一重」として続けるのは無理である。

この顔が続けられるのは、平日の夜の「裏の顔」があるからだ。
それで、バランスをとっている。

いや、「表の顔」と「裏の顔」を使い分けるようになったのは、学生時代であるから、もう30年近くである。

裏の顔_O-DAN.jpg



◆一葉の言葉


実はこのところ、仕事でうまく行かないことが続いている。
「裏の顔」でも、女性にふられたばかりである。
こんなときに、僕はいつも、明治時代の女流作家、樋口一葉(1872~1896)の、この言葉を繰り返す。
僕が、ずいぶん前に、しびれた言葉である。

身をすてつるなれば 世の中の事 何かはおそろしからん

これを書いたとき、確か樋口一葉は17歳くらいである。
実家が困窮し、そのなかでさらに父が亡くなり、病身の母と幼い妹、莫大な借金を1人で背負うことになった一葉が口で述べ、それを後で記した言葉だと記憶している。

文京区の本郷にその時の実家の跡がある。
数年前、僕はその場所に行き、「ああ、ここで一葉がこの言葉を言ったのか」と感慨深かった。つぶやいたのか、叫んだのかは、分からない。

身を捨ててかかれば、世の中に、恐ろしいことなんてないはずだ。

彼女はこの後、半井桃水という小説家に弟子入りし、才能を開花させる。
桃水と恋にも落ち、数々の名作、そして名言を残す。

例えば、「恋とは尊くあさましく無残なものなり」などがそれだ。
なんと、美しい言葉か。

ここ最近は、「再びこんな気持ちになりたい」と思いながら、過ごしている気がする。

今日は平日。今日も夜は「裏の顔」である。

樋口一葉.jpg

※2枚目の写真は、О-DANの無料素材。

サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す