外科医神経症闘症記録 手の震え、あがり症、書痙克服への体験記 夜明け前

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あがり症、手の震え、書痙、自律神経失調症・・・、私を苦しめた症状

私の神経症の症状は、書痙・手の震え・自律神経失調症・心身症・不安神経症・あがり症といったものだった。
具体的に、手術時の手の震えと心臓のどきどき感(動悸)の暴走、カルテを書く際の書痙がもっともつらいものだった。
非常に緊張しやすく、それが体に反応してしまう。
私は昔からあがり症で生きづらい感じもしていた(性格だと思っていたが)。
まさしく一歩間違えれば、過度の緊張によるミスで手術も大失敗に終わる可能性があっただけに、余計プレッシャーがあった。
いつも失敗と予期不安と発覚に怯えていた。


孤独な悩みと自己嫌悪

だから手の震えの悩み以外に、正常な意識を向けることはどうしてもできなくなっていった。
いかにそこを乗り切るか、どうしたら乗り切れるのか、乗り切れなかったらどうしようか、人から変に思われたらどうしよう、もう思われているかも
などとくだらない考えにとりつかれていた。
くだらないけれど、自分にとっては死活問題だった。
くだらないと自分でもよくわかっているから自己嫌悪にもなったし、孤独に悩み、人に決して相談できなかった。


手が震えが徐々に悪化

最初の段階では、手が「万が一震えたらどうしよう」だった。
そのときは不安と恐れだけだった。
腕や手に異常に力を入れて、震えるのを必死でおさえていた。
ずっと長い間、その強迫観念に駆られ続けていた。
ちょっと違うな、生きる上で邪魔で効率が悪いなと思っていた。
こんなくだらないことにばかり囚われているのは、私一人だけだろうなと思っていた。
息苦しさとどこか心に靄がかかった感じ、すっきり自分を出せないもどかしさがあった。
次第に手術の時に限って、手が微かにふるえ始めた。
具体的な症状として出たのはそれが初だった。
気のせいにしたかったが、やっぱり気のせいではなかった。
一時的な震えの症状だと思い込みたかったが、現実は永続的なものだった。
気のせいであって欲しいと思い続け、余計意識と神経が手と腕に集中してしまった。
そして手と腕に異常なほど力が入って、その疲労感といったらなかった。
そういう悩む人がなってしまう悪循環に、私も例外なくはまっていた。
ずっとそればっかりに思考が振り回され続けてしまった。
気になったものは絶対に気にならないようにできない。
しかし、気にならないようにしたい、震えないようにしたい。
この執着心が、ますます私を神経症のレベルに追い込んでしまった。


手術による疲労とストレス

それでも慎重にやっていた結果、特に手術時に問題もなかったが、手術が終わった後は信じられないくらい手が疲れた。
汗の量は半端じゃなかった。
心も異常に疲労した。
心の耐性もどんどんすり減ってしまった。
腕と手が常にはり続けた感じになった。
患者さんを健康にするのが私の使命であるはずなのに、手術をやるごとに、私の心身が不健康になっていった。
私は狂って叫びたいくらい、イライラしはじめた。
なぜ抜け出せないんだ!? なぜ気になるんだ!? どうしたらいいんだ!? なぜ私だけこうなんだ!!
鬱憤が溜まるが、吐き出せる場所もない。
自律神経失調症になるし、不眠症も併発した。
必死でもがいたり、ひたすら耐えて、時間が解決することを一縷の望みにして頑張ったが、私の強い願いとは逆に、もっと神経症的な症状が私を取り憑いていった。


あがり症、緊張症
あがり症には学生時代から悩まされたが、そういう性格なんだと思いながら、医学部を卒業し、研修医を経て、無事一人前の医師になれた。
対人関係のコミュニケーションも人並みにどうにか取り繕っていた。
だけどどこか自分を守ってきた半生だった。
もともとのあがり症・緊張症が、結果的に手の震えにすり替わった、手と腕に特化してしまったのだと思う。
次第に、心理的なもので手が震えるとわかり、精神科と心療内科に相談しに行った。
のちのち潜在意識の病因にアプローチする催眠療法と、「あるがまま」を実践しようと森田療法にも通った。
どこにも私が手術をする外科医だと言わなかった。
どうして言えようか。信用問題に関わる。
現役の手術を行う医師が手が震えるなんて、カウンセラーやまして精神科医に知られたら恥だと思った。
これも自分を守っている、恥をかきたくない、プライドが高いことと関係が大いにあるだろう。
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