うつ状態の私がブログをサービスを始めた理由  看護師として歩んできた道 前編

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コラム


訪問頂きありがとうございます。

今日は少しいつもとテイストが違う、

自分語りのブログの内容になってしまうのですが、
題名通り、
なぜ、私がここでブログを書いたり、サービスの出品を始めたのかについて
書いてみます。


長くなるので、前編・後編で分けて書いてみます。

気が向いたら読み進んでいただけるとうれしいです。

まず、私がうつ状態になった経緯については、
あまり詳しく書いてきませんでしたね。

私の看護師の経歴について、
どんな日々を送ってきたのかを先に書いてみたいと思います。


私は看護師としての経歴自体は、トータルであわせたら8年程になりますが。
間にブランクもあります。

新卒の時は慢性期療養病棟にて、
意識障害の患者さんがほぼ占める病棟でした。

気管切開の方も多いですし、意識障害のこともあり、
コミュニケーションができない方ばかりでしたが、
誰よりも声掛けを丁寧にするように心がけていました。

私自身が自信をもってできる数少ないことだった、というのもありますが、
声掛けによる小さいな表情の変化など
反応してくださる方もいらっしゃいましたが、
何より、言葉で伝えることはできないだけで、
例え意識障害があっても、私たちが伝える努力をすれば、
きっと伝わるのではないかと信じていたからです。


ある先輩は、ここはやりがいのない病棟だよ、と言いました。
ですが、私は、やりがいとか、関係なく
例え患者さんと双方向のコミュニケーションができなくても、
それはコミュニケーションをしない、
声掛けをしないことにはつながらないと思いました。




その後、結婚や出産を経て
職場が変わり、次に働いた場所は、
一般病棟でした。

入退院も激しく、毎日が忙しく、
患者さん一人一人と関われる時間が短いなかでも
寄り添う姿勢だけは忘れないように努力はしていましたが、
業務の忙しさに思うようにいかず、くやしい思いが多い日々でした。

そして、一番くやしかったのは、
大体同じ患者さんが入退院を繰り返していることでした。

入院中に体調が戻っても、
退院後に同じように状態を維持、管理することが難しい、
家族の協力が得られない、など
理由は様々でしたが、
入院中にもう少し退院後の生活を見据えたサポートなど、
何かやれることはないのだろうか、
しかし私にはそれができる能力が足りない、
どうしたらいいのだろう、と
日々の業務におわれる日々でした。

そんなある日、
よく入退院を繰り返していた患者さんが
最近顔を見ていないない、
いつもならそろそろ入院される頃だよな、と思っていたら

状態が悪くなり、亡くなったことを知りました。


私がそれほどの能力をもちあわせているわけでもないけれど、
でも、何かもっとできることがあったんじゃないかと
頭の中でそのことが離れませんでした。

入院中も大切だけど、退院後の生活がやっぱり大切なのだと。
そのことをきっかけに
訪問看護をこころざそう、と決心したんです。

私に何ができるかはわからないけど、
訪問看護なら、退院後の生活の場で
何かできることが見つかるのではないかと思ったからです。

そこから訪問看護の事業所の情報を調べたり、見学に行ったりして、
自分のかかげる理想に近い事業所をみつけました。
そして、
私は訪問看護の世界へ踏み入ることになりました。


夢だった訪問看護の世界。

一般病棟で一緒に働いた先輩も私の夢を応援してくれていました。
この時はやっと
夢の訪問看護の世界へ行ける、
頑張ろう!と
やる気に満ち溢れていました。


その先にまさか、
人生が変わる程の出来事につながることになるんて思ってもみませんでした。
前編はここまで。
後編でうつになった経緯と、ブログとサービスへの思いについて触れていきます。


自己満足で、読みにくい文章をここまで
読んでいただきありがとうございました。




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