息子とネパール人の友情物語

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みなさん、お疲れ様です。

ケイトは小学3年生から
6年生まで英会話教室に通っていた。

ある日
「外国人の子が入ってきた」
言ってきた。

「英会話教室に外国人の子が入るの
 珍しいね。日本生まれの子かね」
話していた。

翌週
ケ「この間話した外国人の子
  やっぱり日本人だった」

私「どういうこと?」

ケ「名前が日本の名前だった。
  日本語もペラペラだし」

私「彫の深い顔立ちだったんだね」

ケ「うん」

そして、数か月後英会話教室の
授業参観。
ケイトの話していたお友達を見ると
アフリカ系の子だった。

以前テレビで日本生まれの
アフリカ系の人が
日本語ベラベラだと絶対に
みんな驚いた表情で
「日本語上手ですね」
言ってくる。

「日本生まれで、日本育ちだから
 日本語しかしゃべれない。」
話しても
「でも日本語上手ですね」と言われる。

自覚がないかもしれないが
こういう発言で差別を感じる。と
言っていた。

だから、ケイトが見た目ではなく
その子の中身や行動、発言で
日本人と思ってくれた事が
なんだか嬉しかった美原ほなみです。

子供達が通う学校は外国籍の
子供達が多い。

学年平均40人中に5人~7人はいる。
給食も世界の料理の日があり
お友達の出身の国の料理が
出ることがある。

国籍関係なくみんな仲良しだが
たまに問題が起こる事も。
(だいたい低学年)

そんな時は先生や保護者達が正しい
知識を子供に教え解決している。

ケイトの学年にも
両親が中国人
韓国と中国のハーフ
フィリピンと日本のハーフ
中国と日本のハーフ

そして4年生の2学期に
転校してきた
ネパール人のロハン君がいた。

転校してきた時は
全く日本語がしゃべれない
ロハン君。

転校初日の休み時間
一緒にドッチボールをしたが
ルールがわからずっと外野の人に
ボールを当てていた。

「俺だったら言葉もわからない
 国の学校に通うのも嫌だし
 初日からルールもわからない
 遊び全力できないよ。
 ロハンすごいよ」
ケイトは驚いた様子で話してくれた。

授業は、翻訳機を使って行う。
先生も大変だ。

ケイトの仲良しグループに
ロハン君も加わり毎日放課後
遊んでいた。

半年を過ぎた頃
休日ケイトと歩いていると
ロハン君に会った。

「おい、お前どこ行くんだよ」
流暢な日本語で話してきた。

びっくりして
私「ロハン君、日本語ペラペラじゃん」                    

ケ「そうなんだよ。
  日常会話も授業も日本語で
  問題なくできてるよ。
  ただ、俺達から日本語
  学んでるから、言葉使いが
  めちゃくちゃ悪いんだよね」
言ってきた。

確かに、ケイトと会話していても
言葉使いが悪い。
でも、ケイトも周りの子達も
みんなそうだから
あまり気にならなかった。

ケ「ロハンは英語もペラペラで
  ネパールでかなり優秀
  だったんだって。
  お父さんが日本でカレー屋さん
  やってるから今度は日本語を習いに
  お母さんと来たみたい」
言ってきた。

もし、このままロハン君が
ネパールに帰り
通訳の仕事に就いた時に
「お前どこ行きたい?」
「お前何食いたい?」って
話してる姿を想像したら
恐ろしくなりケイトにちゃんと
正しい日本語を教えるよう伝えた。

お友達の中にはいじりという名の
嫌がらせを言ってくる子が
いたらしいが、そんな時
「ケイト聞いてよ。
 アイツむかつく」
ロハン君の愚痴を聞いて
友達を注意したり
励ましてあげたそうだ。

数日後、遊んで帰ってきた
ケイトが
ケ「今日、大変だったんだよ。
  公園でロハンと
  カシュン(中国人)が 
  取っ組み合い殴り合いの
  喧嘩になってみんな
  ボー然としちゃって・・・
  だから、俺がやめろよって
  二人を引きはがして
  止めたんだよ」

私「まじで?
  きっと明日学校で大問題になって
  先生大変だね」

ケ「ロハンがお前覚えておけよ。
  明日校長先生に言うからなって 
  帰って行ったから
  明日一緒にいた俺たちも
  事情聞かれて休み時間が
  なくなる。嫌だなー。」

私「そっかちゃんと事情説明すんだよ」

翌日帰宅したケイトに
「どうだった?」と聞くと
「何事もなかったように
 2人とも仲良く遊んでたよ」
言ってきた。

確かに、私が小学校の頃は男子達が
いつも何かしらの言い合い
取っ組み合いをしていた。
かすり傷くらいなら気にもしない。
親が出てくることもなく学校は
子供と先生の世界って感じだった。

今じゃ、「ぶりっ子」って
言っただけでも親から抗議が来る。
そして、謝罪の電話をしないと
いけない。
本当に面倒だ。

その後も、ケイトとロハン君は
毎日遊んだ。

中学に行っても高校に行っても
この友情は続くものだと
思っていた。

でも、6年の1学期ロハン君は
ネパールに帰る事に。

理由は日本語を覚えすぎて
英語を忘れてしまったから。

毎日ケイト達と過ごしすぎて
英語を話す機会がなくなって
しまったのかもしれない。

英会話教室に通えばいいじゃんと
思ったけど人の家庭に口は出せない。

ケイト達は、転校前日まで
時間が許す限り遊んだ。

学校最後の日、ロハン君から
ネパールの本と手紙をもらってきた。

内容は聞いてないが、
「ケイトへの手紙
 泣きながら書いたんだよ」
ロハン君が言ったそうだ。
私も号泣。
もはや私の号泣はお家芸だな。

出発の朝も、空港から
電話をかけてきてくれて
ケイトと最後のお別れをした。

ケイトは、大きくなって
初海外旅行は絶対ネパールに
行くと言っている。

大きくなった二人が再会して
ロハン君が
「お前どこ行きたい?
 何食いたい?」って聞いてくる
姿を想像して、ニヤけてしまう。

高校生になったケイト
ロハン君とは
全く連絡をとってない。

君たちの友情はそんなものか?と
思ったけど・・・

どうやらロハン君が日本語を忘れて
しまったらしい。

でも、ケイトはネパール系の
人を見るとロハンかもって
ついつい見てしまうそうだ。

早く、この状況が落ち着いて
日本とネパールお互い
行きやすくなるといいなぁ。
小顔で目が大きいロハン君。
大きくなってイケメンに
なってるんだろうな。

ロハン君と英語で話せるように
息子よ英語頑張ってくれ!

では~
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