誕生日は毎年、私を生かしてくれている神々に御礼を申し上げに行く日だった。

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誕生日は毎年、私を生かしてくれている神々に御礼を申し上げに行く日だった。


今年もまた、気がつけば誕生日を迎えてしまった。
毎年毎年、気がつけばこの日で、
本来なら恒例行事として大阪へ行き、産土神や親神に御礼を申し上げ、
また、それ以外にも氏神やお世話になった神々に御礼を申し上げて回るのが、私の恒例行事だった。

だった、と書くのは、今年は多分難しいなあ、と思っているからである。

神棚に御礼を申し上げる事は可能なので、夜が明けたら供物をちょっと豪勢にして御礼を申し上げるしかないか、と思っている。

この世に行くように命じた親神は、誕生日までの期間にまた沢山の修行を落としてきた。
誕生日前のラストスパートは凄まじいものだった。
でも、改めて考えると、毎年そうだった気もする。
完全に、修行=愛情だと思っているとしか考えられない親神の怒涛の修行。
そういや、それで誕生日はだいたい熱を出したりなんだりしていたなと思い返す。

そんな誕生日であり、また、特にめでたい日とか嬉しい日でもあまりないものだから、ケーキを食べたいだとかなんだとかそういう気持ちはあまり持っていなかったりする。
ただ出来れば何事もなく神々に御礼を申し上げて過ごせれば、と思い、ずっと過ごしてきた。

今年は諸々の都合で現地への参拝は諦めたので、
出来れば仕事は完全オフにして怠惰に過ごしたいとは思っている。
出来れば、修行もお休みさせていただきたいとも思っている。
どこまで叶うかは夜が明ければ分かる事だろう。

ただ、特にめでたい日とか嬉しい日でもあまりないとは書いたものの、
「誕生日を迎えられた」という事はこの一年も生き延びたという事なので、
その計らいに感謝を申し上げたいと思い、恒例行事を行ってきた。
現世は地獄よりも地獄だと思っている私は、現世で生き延びる事は毎年奇跡だとすら思っている。

そうブツブツと書いていると、何人かからこんな深夜にお祝いの言葉を頂き、
「めでたい日とか嬉しい日でもあまりない」なんて言っている自分が申し訳なくなるのだが、誕生日というものは、この世に誕生した日であり、生き延びた数をカウントするようなものだと思っている。

それに対して私が戦友だと思っている人物から、「同じ時代を生きられて嬉しい」という言葉を貰ったのが、何よりもありがたかった。
確かに、何かがズレていれば、出会う事はなかったのかもしれないし、もしかしたら、戦友どころか敵対していたかもしれないもんな。

毎年毎年、色々な事があるのだが、この一年も色々な事があった。
沢山の人から嬉しい言葉を頂き、
そうして何人かの人が離れて行った。
沢山の人の縁に感謝をし、
そうして何人かの人に残念な気持ちになった。
何よりも、年々、親神の修行の厳しさが増しているような気がする。

毎年、「能力が消えれば引退する」と決めていて、
毎年、「不要とあらばいつでもこの世から消せ」と担架を切り、
そうやってずっと過ごしているのだが、まだ修行は続くようだ。
いや、明日に消え去っているかもしれないけどね。

しかし今年と来年は多分、恒例行事を行う事は難しいだろうなと思う。
どうしても、一人の事情で自由に動き回るのが難しい時期があるのは、大体の人はそうなんだろうと思う。
だから、それで神々が怒る事はないのは分かっているのだが、なんだか心がむずむずする。

でも、そうグダグダ書いてもどうしようもないし、
書いてどうにかなるならとっくにそうなっているわけだし、
今回は我が家の神棚の前で申し訳なく思うのだが、誕生日を迎えた事には素直に感謝申し上げ、
そうして、この一年間にいただいた沢山のご縁に感謝申し上げ、
改めて背筋を伸ばし、前を向いて、私は私らしくまた明日を生きようと思う。

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