生きる意味

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娘のいじめが落ち着いたころ、私は7回目の妊娠をしてしまった。
4人目の子がまだ1歳半だったので、不安は募るばかり。
何度も、避妊してほしいとお願いして抵抗しても聞いてくれない夫
それでも、妊娠できない体と診断されながら、授かったのだから
意味があるんだろうと思った。
お腹の子はすくすくと成長し、5ヶ月を過ぎるころには胎動も少し感じていた
しかし、羊水検査を勧められ1日入院の検査。検査結果は、お腹の子はダウン症。医師から、堕胎を勧められた。4人の子育て、経済的な事
そして自身の持病。色んな角度から見て、堕胎はやむを得ない。
でも・・授かった命。障害があっても元気な子を産みたかった。
6ヶ月半ば、急に陣痛が始まった。
急いで病院に行き、診てもらったが陣痛はおさまらない。
元気にお腹を蹴るお腹の子。医師は、このまま自然分娩しましょう
「え??まだ、未熟ですよね??」
「母体を考え、将来を考えると、そうせざるを得ません。」
私は、祈るような気持ちで「未熟児でもいい、障害があってもいい、元気に生まれてほしい」お腹をさすりながら、何度も話しかけた。
5時間ほど経ったころ、三女は生まれた。
産声が聞こえない・・・意識がもうろうとする中で看護師さんに聞いた
「元気な子ですか?抱っこさせてください。」
看護師は、しばらく経ってから「もう息を引き取っていますし、黒ずんでいます。あちらの部屋で身長・体重を測り 旦那様に立ち会っていただきますね」
「嫌です。抱っこさせてください。」そう言っても、「あなたの為です」
そう言って、別室に運ばれたわが子
身長19㎝・体重900g・手足もそろった女の子だった。
私は我が子を抱くことも、会うこともできないまま、42度の熱を出し
意識を失った。帰宅してみたのは、小さな棺桶に入った娘だった。
開けられないように、封印されている。
棺桶を抱っこしながら「ごめんね」と何度も泣いた。
熱を繰り返していたため、急遽 私の両親が駆けつけてくれ
夫と共に火葬場へ 娘を見送ってくれた。

毎日、泣くことしかできない。
私の体がもっと元気だったら、私の意志が強かったら・・・
「私が娘を〇したんだ」そう自分を責めた。。
ある日、2歳になろうとしていた次男と縁側に座り、庭をぼーっと見ていた
次男は言葉は遅かった。お腹がすいた時だけの「まんま」だけしか発しない
障害があるのかな?とも思っていたが、子供一人一人の成長は違う。
そんな次男と庭を見ていた時、11月だというのに1匹の蝶々が飛んできた
「まま、○○ちゃんきたよ。ちょうちょになってあいにきたよ。」
一瞬誰が話したのかわからなかった。
「まま なかないでっていってるよ。○○ちゃんだよ。」
声の主は次男だった。驚きと共に、娘が蝶々になって会いに来てくれたと
確信した。次男を抱きしめ「そうだね。ママ泣いてばかりじゃだめだね。
「娘」の為にも頑張って生きていくね。
三女の存在は、私たち家族に生きることの意味を
考える時間を与えてくれた。生きたくても生きられない命。
この世に生まれても、障害を持ったまま生きていかなければいけない現状。
自分に課せられた運命とは、使命とは、色んな角度から子供達と話し合い
生きる意味、生かされてる意味、自分が果たすべき使命、
生きづらい世の中で、自分らしく生きていくにはどうすればいいのか
それぞれが考え、お互いの気持ちを吐き出しながら精一杯生きることを誓った

それとは相反するように、私と夫の関係はぎくしゃくし始めていた。
こんな思いは二度としたくない。
私は私らしく生きていきたい。 夜の夫婦生活は、ほぼ無くなった。
夫のDVが顔を出し始めていたのも気付かずに・・・

続きはまた明日・・


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