結婚 ~第一章~

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コラム
結婚の滑り出しは順調だった、贅沢こそ出来ないが温かい家庭だった。
結婚して1か月ほど経った頃、下腹部の激痛に襲われた。
出血もしていたので、産婦人科に行った。
成長していない、無排卵の私の所に天使がやってきた。
医師は何度も確かめる、「奇跡だ・・・」そう呟きながらも
同意書にサインを求められた。
「子宮が小さすぎて、子供が成長しない」と堕胎を進められた。
即座に断った。奇跡でも授かった子。自然流産なら仕方がない
でも、私はこの子を絶対に産む。そう言い切った。
つわりはひどく、出血も大量だった。入院しては自宅安静の繰り返し
トイレ以外立ってはいけないと言われていたので、ほぼ寝たきり。
子供は私の決意に同調するかのように、手足を伸ばし子宮を広げた。
痛みとの闘いだったが、私の母性本能は大きくなり
お腹に手を当てては、話しかけたり歌ったり、絵本を読み聞かせた。
夫の実家は義母が個人事業主でお店をやっていたので、
産後の面倒は見れないという。8か月に入ったころ安定していたこともあり
実家出産をすることに決めた。数か月前に逃げてきた故郷。
こんな形で戻るとは思っていなかった。
陣痛が始まったのは、予定日の1か月前。でも微弱陣痛。
故郷の産婦人科医は優しく、安心できた。
骨盤の大きさを測ると、3000g弱でも頭が通るか通らないか・・
帝王切開を進められたが初出産は自力で産みたかった。
お腹の子は、既に3000gを超えていた
本格的な陣痛が始まった、2~3分おきに襲ってくる波
しかし、子宮が一向に開かない。出血と破水。
医師は「帝王切開」と言い切ったが、私は「No」
根負けした医師は、「子供の心拍が乱れ始めたら、帝王切開に切り替えます」
そう言って、私の意思を尊重してくれた。
背中から大きな杭を打たれるような激痛と闘う事 72時間
指1本分が開き始めた。助産婦さんをはじめ、先生も看護師さんも必死
お腹の子も頑張ってくれた。朦朧とする意識の中、
波に乗ってくるいきみを回避するのに、精も魂も尽き果てていた
私は声も出さず(叫んだりすると体力が消耗するから)じっと耐えた。
先生は、「まだ いきんじゃダメだ!子供の命が危ない」

ドンと言う骨盤に向けて子供が下りた瞬間「よしいいぞ!!」と先生
私は残った力を振り絞り 長男を出産した。
生まれてすぐ処置を始めたが産声をあげない、先生が何度か赤子を叩き
やっと、「ぐえ!!」と言う泣き声をあげた。3780g大きな子供だった
苦しかったのだろう・・肌の色は紫色。ふさふさの毛に五体満足。
そのまま、私は意識を失った。
目を開けたとき、まだストレッチャーの上で点滴を受けていた。
旦那が心配そうに顔を覗き込んでいる。
泣きながら「よく頑張ってくれたな。大したものじゃないけど・・」
そう言いながら 小さなダイヤが付いたネックレスをくれた。
そして、「次の子はいつにする?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
出産はもうしない!!!と叫びたかった私であった。。。
三輪車hapiba.jpg




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