ふるさと

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コラム
私の同僚は63歳 東京で働いているが 田舎に両親がいるそうだ。
年寄りなので 田んぼと畑は人に貸して 慎ましく暮らしていると
言う。

羨ましい。こんなに羨ましい事ってない。
私にだってふるさとはある。
しかし もう昔とは全然違う。

私のふるさとは東京の港区の神谷町にあった。
そこの松平様のお屋敷跡を お父さんの勤めていた
会社が買って 社宅を建てた。
トイレもお風呂も共同だったけれど 幸せだった。

高度経済成長以前の日本で 私たちはまだ生活質素だった。
朝の卵は一つを割ってお醤油を多めにして 家族みんなの
ご飯に少しずつかけて食べたりした。
自分の家が貧乏だなんて思わなかった。
隣近所だって同じだったから。
虎ノ門の方の公園にはまだ防空壕が残っていた。
立ち入り禁止のロープが貼ってあった。
よく怖々覗き込んでいた。

今はもう昔の様子は影も形もない。
小学校も無くなった。
懐かしいかつての社宅には
今は大きなビルディングが建っている。
ふるさとの思い出はもう記憶の中にしかない。

そのふるさとを現実のものとして 持っている人が
いるのだ。
なんて羨ましい。
しかも他に兄弟はいないのだそうだ。
さらに両親ともに高齢とはいえ健在だと言う。

「どうして帰らないの?」と聞くと
「田舎なんで 帰っても仕事がないんで」

でも私だったら帰ると思う。

失ってしまって どんなことをしても
二度と手に入らないふるさと
その価値をお金にすれば お札をこの場所から
月まで積み上げても
まだ足りない。

いまひとたび そこへ帰れるのなら 全てを
振り捨てて帰るだろう。
そんな歌があった。
「私のいるべき場所  どうして昨日のうちに
帰っておかなかったのだろうか?」

しかし戻らないもの嘆いても仕方がない。
今現在 私には家を出て 仕事をしている息子がいる。

息子も一人前になったとはいえ 色々思うにまかせない
こともあるだろう。
例えば 人生や生活に疲れて果てた息子が
ある日うちに帰ってくる。

子供の頃と同じ家 同じ部屋
壁の落書きも 傷や凹みも
タイムカプセルのようにそのままだ。

そんな奇跡があってもいい。
そしてお母さんは台所でなんか美味しいものを
作っている。
そんな奇跡が続くように いつまでも続くように
願ってやまない。







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