「食べ物が簡単に手に入らない環境であれば過食しないのかもしれない」という考察。

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コラム
ようやく秋めいてきました。

私は極端な食事制限をした拒食症が原因で、体脂肪と共に急激に筋肉量・体内循環血液量も減少し、血液の巡りが悪くなったため冷え性になったと思っています。

そのため、比べものにならないくらい猛暑の夏より寒い冬が苦痛で、猛暑といえど長い夏の終わりを寂しく思っています。

とはいえ、夏至を境にしっかり秋にはなっていましたね。

昼間の暑さで目隠しされたように秋を感じにくくはありましたが、
日はどんどん短くなり18時でもう外は真っ暗。スーパーでは夏の味覚が片隅に追いやられ姿を消しつつある一方で、秋の味覚はスーパーに揃い始めていますし、
空気の乾燥を感じ、ハンドクリームを塗るようになりました。

陰陽の変化は規則正しく、季節は乱れることなく、しっかり巡っているんだなと、私は感じています。


さて、
今年の夏は猛暑だったので、過食症の人は大変だったろうなと思っています。
食べて嘔吐する場であるトイレの蒸し暑さは、なかなかキツいのです。

私は上手に吐けないタイプだったので、夏はトイレで汗だくになりながら必死に吐いていたことを思い出します。

それに加え、
今は社会的な物価高騰で過食代が相当苦しいんじゃないかと思っています。
食べる物欲しさで万引きに走らないといいなと気にしています。

過食症の食べたい衝動は、万引きにつながるほど大きく抑えがたいものであることは、経験してきたものとして良く分かります。

過去に私も食べ物を求めてコンビニに走り、それでも足りなかった時には、自宅にあったコーヒー用の角砂糖をバリバリ食べたり、調理用の砂糖までもスプーンですくって食べていた時があり、
それに気付いた母親の、本当に呆れたように呆然と私を見つめる母親の顔は、今でも忘れられません。

自分でもあり得ないと認識できる行動に走る、そのくらい抑えられない衝動が襲ってくるのが、過食症の恐ろしさの1つともいえます。

食べたいという衝動で夜中にコンビニに走るのは、そこに食べ物があるからです。

夜中でもいつでも欲しい時にお金を払えば、過食するための食糧が手に入ります。
今ならコンビニじゃなくても自販機に走れば、クッキーや餃子やラーメンなど過食するものを手に入れることができますし、

言ってしまえば「簡単に食糧が手に入ってしまうことが、過食を加速させる条件になっている」と感じています。

だとすると、
「食べ物が簡単に手に入らない環境であれば過食しないのかもしれない」「過食の頻度が減るのかもしれない」と考えられますが、

どうなんでしょうね。
考えてみたいと思います。

ひとつの検証材料として、
学生時代にリゾートバイトをしたことがあります。夏休みの約1ヶ月間、当時仲良しだった友人と2人で住み込みで、とある高原ホテルで働きました。

過食症ど真ん中の時でした。
当時は毎日とは言わずとも、週に1〜2回は派手に過食して嘔吐していました。

そんな最中に、約1ヶ月間のリゾートバイトに応募したのは、後先あまり考えない自分の性格的なもので、完全に友人とのノリでした。

周囲にコンビニもスーパーもなかったし、食糧の調達といえばホテルの土産物売り場、お菓子の自販機1つくらいでしたし、
休日には高原から降りて、街まで遊びに行けますよと聞いていたけど、
休みはろくすっぽもらえず、もらえたとしてもコンビニがある街までは長時間バスに乗らなければいけない、私は乗り物酔いが酷いのでそれは地獄、

とまあ当たり前のように思い描いていた自由なバイト生活とは違っていました。

食べられない、過食できないという現実に、少し不安になったことを覚えていますが、
週に1〜2回は派手に過食して嘔吐しているわりに、大きな不安を抱かなかったのは、
後先あまり考えない自分の性格的なものもあるけど、
シンプルに友人とのリゾートバイトが楽しみで、
「1ヶ月くらいなら頑張れるでしょ」と変に自信が持てたんじゃなかったかな〜と思い返しています。

実際、とても楽しいバイトでした。
同じようにバイトに来た学生さんとも仲良くなり、わきゃわきゃと賑やかに過ごしていました。

毎日の食事はホテルのご馳走とは違い、野菜を使った素朴な賄い食で、安心して食べられました。

そんな充実した日々の中で、過食したいという気持ちになることはなかったのですが、

もうすぐ約1ヶ月間のバイトが終わるという頃に、
自販機で買ったアルコールと、同じく自販機で買ったおつまみやお菓子、手持ちのお菓子など持ち寄りで、バイトメンバー4人で細々とした飲み会をしようということになりました。

飲み会とか外食とか、
「管理しにくい食事」「自分が望まないものまで食べなくてはいけない食事」「普段は禁食としているものを食べてしまえる環境」
これらには過食リスクがあり「過食のトリガー」になると思っています。

この飲み会も例外なく「過食のトリガー」となりました。

楽しい飲み会が、段々と食べたい欲求に侵食されていくのがわかります。
頭の中9割が食べることで占められ、残り1割で吐くことを考えている状態になります。
嘔吐する前提で食べることを考えるようになります。

「やばいな」と焦りを感じますが、こうなるともう止められません。
お腹いっぱい気が済むまで食べて嘔吐しないと終わらないわけですが、

そうは言ってもです。
お腹いっぱい気が済むまで食べるほどの食糧が手に入らないわけです。

自販機で『きのこの◯』と『たけのこの◯』を10箱づつ買うことなら叶いそうですが、

次には、
「買ったとしても、どこで食べたらいいの?」というこれまた現実的な問題が浮上します。

自分が異常なことは理解しているけど、バイトメンバーの前で堂々と食べられるほど、自分の異常さを割り切ってもない。
みんなの知らないところでダー!っと食べてしまえたらいいのにと思いました。

結局、この後私はどうしたのかというと、
飲み会がお開きになった後に、『きのこの◯』と『たけのこの◯』を、確か数個買って、多分寝てしまった友人を隣に、いそいそ食べたと記憶しています。

いそいそ食べるのは着実にエネルギー吸収されてゆくであろう、胃内にあるどろどろの内容物への不安と、
とにかく早く吐いて、卑しい自分をリセットしたいという思いからです。
不安に煽られながら、トイレに行きました。

予想していたことでしたが「やっぱりダメだ・・・」と、
うまく嘔吐できずに泣きました。

ペロッと嘔吐できない人間は、腹圧を上げて勢いを付けないと嘔吐できません。腹圧を上げるには、胃に大量に食物・水分を入れて、お腹をパンパンにすることが必要になります。

それができなかったので、飲み会で禁食としていた食べ物も、アルコールも、『きのこの◯』と『たけのこの◯』も、大半胃の中に収めることを受け入れざるを得なくなりました。

心がザワザワしながらも、毎日の疲れと、アルコールと、嘔吐の疲れで眠ったと思うのですが、
想定外のような想定内のようなことでガクンと気分は沈みましたが、恐らくそう引きずることなく、
翌日きちんと朝は来て、いつも通り働き、食事もして、過食しないバイト生活に戻りました。

トータルで見てみれば、飲み会までの約1ヶ月弱、過食嘔吐せずにいられたという経験は素直に嬉しかったし自信につながりましたし、

厨房に忍び入り、食材や調味料の砂糖を食べてしまおうなんて1ミリも思わなかっただけでも、良かったなとは今になって思えることです。


こうして振り返り考えてみると、
過食症の人が「食べられない環境下に置かれれば過食しない」という一時的な効果はあるんじゃないかなと思えるのです。

しかし、これは一時的な効果であって、長期に渡ってはどうなんだろうと思っています。

というのも、
わかりきったことだと思いますが、リゾートバイトから家に帰れば、過食嘔吐は通常運転になったからです。


もっとスケールとして大きく、けれども現実的に例えていけば、
大規模な地震など天災にあえば、ライフラインが止まり、物流が止まり、非常食で生活せざるを得ない、場合によっては避難所で生活せざるを得なくなります。

生死を分けるような非常事態に、
今後の生活、自分や家族の将来、自分や身近な人の命を心配するような目の前の事態に、通常ならば頭が真っ白になるでしょう。

東日本大震災の悲劇を思い出せば、生き延びるための飲食物は貴重で、当然その価値が上がり、「過食をしたい」「お腹いっぱい気が済むまで食べたい」とは思えなくなると思うのです。
だって、実現不可能ですから。

自宅に食糧があれば、もしかしたら大きな不安から過食してしまう人もいるかもしれませんが、
トイレの水は使えませんから、山奥なら土を掘ってそこに嘔吐できるにしても、山奥に住んでない場合、自宅の庭でするにも躊躇するような事態ではあります。

大きな不安に駆られず、状況を把握できるような人であれば、
やはり過食は一旦隅に追いやられ、
貴重な食べ物を口にして消化させると思います。

しかしながら、
復旧が進み、3か月後でも半年後でも1年後でも2年後でも、食糧が安定して手に入れられ、気持ちにも余裕が出てきた頃、
再び過食嘔吐は通常運転になるんじゃないかと思ってはいます。

何度も書いていますが、人間として成長し、大人にならなければ、過食嘔吐とさよならできません。
成長できれば過食嘔吐なんて必要なくなるので、勝手に消滅します。

過食嘔吐は自分にまとわりつく症状であって、根本的な原因は、大人になれない今の自分の在り方です。

過食を遠ざける環境に置かれても、過食ができる環境に戻ってしまえば、それが1年後でも2年後でも、過食症は復活します。
それだけ、過食症は厄介だとも言えます。

人間として成長できず大人になれなければ、過食症は自分に必要なこととして、付きまとってきます。
過食症を跳ね除けるだけの強さが備われば、勝手に消滅するのです。

成長や強さという意味では、
大規模な天災が、自分の価値観を大きく変化させるような機会になり得た場合、過食嘔吐とさよならできるチャンスになるんだろうと感じています。


戦後の日本は貧しく食べ物は「生きるためのもの」だったでしょう。
飽食の時代といわれる頃までずっと、過食症なんて存在するはずがないことは、天災が襲ったことを想像すれば容易に理解できます。

食べるものがいつでもどこでも手に入る環境が、快楽に依存している過食症を加速させること、容易に抜け出せなくさせることは、間違いないように感じます。


長くなってしまいました。
ダラダラとした読みにくい文章なのに、今回も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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