思うに、健康でいるために特別なことってないんです。

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コラム

最近胃の調子がそこそこ良い感じです。

私は長年過食嘔吐していたために、かれこれ8年近く酷い逆流性食道炎に悩まされているのですが、
今は数年間服用している「六君子湯」という胃を元気にする漢方薬のみで、胃酸を抑える逆流性食道炎の服薬なく、生活できています。

食生活には気を配っています。

胃酸の分泌を促進させるカフェインを控えるように、コーヒー・紅茶・緑茶等を断ち、白湯生活にしました。
甘いものは夕食後の癒やしだったけど、ほんとにごくたまに食べるだけにしました。腹八分目も、できるだけ気を付けています。

以前までカフェでブログを書いたり、本を読んだり、勉強するのが日課のようだったけど、
カフェに行く必要性を感じなくなって、強烈なインドアになっても、
「健康になるためなら」と
案外あっさりカフェ断ちすることもできました。

ずっと続けていたことを断つことは、何かをスタートさせることと同じくらいのエネルギーを必要とすることだけど、
「断てる」と思った気持ちに応じて、しっかり行動も一致させていくことは、エネルギーを有効活用するためにとても大切だと思いました。 


私は長く摂食障害で、若い頃には踏ん張れた身体も、30代後半から徐々に身体がガタついて、悪習慣の積み重ねにより40代で左上腹部に腫瘍(良性)が見つかり手術したことから、
「健康でいられることは尊いことだ」と身をもって学びました。

健康というのは歳を重ねるほどに、若い頃のようにタダでは手に入らなくなります。

若い頃のままの感覚でいると、健康でいることがあまりにも当たり前なので、その尊さは意識もされません。

しかし、
何か健康上に問題が現れると、とたんに健康の有り難さ、尊さを感じるようになります。

体調不良を起こして何だか本調子じゃないな、と感じる時でさえ、日頃の健康に感謝しますよね。
それが長い経過で押し寄せてくる感じです。

若い頃は「健康であることは当たり前」であるけど、
歳を重ね高齢になると今度は、
「病気の1つや2つあることが当たり前」に切り替わります。

それだけ、健康でいることは難しい、尊いことになるのです。

以前、私が服用している漢方薬の「六君子湯」を処方して下さる漢方医の先生が
「自分に必要な食べ物は、自分の身体が1番良く知ってるんですよ」と仰ったので、

「私もそうだけど、多くの人がそれが良くわかっていないか、わかっていても無視しちゃうんです。生活習慣病が減らないのはそのせいです。」
とお答えしたことがあります。

先生が仰るように、自分に必要な食べ物はきっと本来、自分の身体が1番知っていると思います。

けれども、
自分に必要な食べ物を知るには、自分の身体を敏感に察知することが必要で、

ある程度健康な身体になっていないと、その「必要なもの」「必要でないもの」を仕分けすることができないと思うんですよね。
健康だからこそ、敏感に察知できるんです。

健康でない状態では、感度が鈍ってしまっているんですよね。
だから、
いつまで経っても生活習慣病を引きずったまま、薬で症状や数値は抑えられるので、
これで良いや、と医者も患者も考えてしまって、薬漬けの方はたくさんいます。

健康へと紐付けできないから、感度が正常化できないのでしょう。


40代まで歳を重ねると、それなりの病気が現れるように思います。

病気は人生の後半に向けて生き方を改めよと警告してくれます。

人間、痛い思いをしないと、思考や行動を改めることなんて、なかなかできません。
今のままでいたら、若くして半身不随だよ、透析だよ、癌になってしまうよとの警告です。

自分の取り組むべきこと、やりたいことを実現していくためには、
健康の尊さを意識していかなければ成し遂げられないと、教えてくれているのだと思っています。
40代、それ以降はそんな年齢です。

健康の尊さに気が付いて、
あれこれやってみて失敗して、身体を探り知り得ながら、健康への感度を上げていくことができれば、その後はきっと大きく変わってきます。

私の今後の課題としては、
「良く噛んで食べる」「早食いをやめる」があります。
基本的なことが大切だと思ってきたので、これも近いうちに実行に移さないとな〜と思っています。


思うに、
健康でいるために特別なことってないんですよね。

高価なサプリメントも酵素も乳酸菌もきっと要らない。
「ちょっと良いな」
なんて心揺れるけど、
過剰に偏った栄養を入れたって余分なものは排泄されるだけだと、冷静に考えれば理解できます。

忘れてはいけないのが、
「私たちは自然と共に生きていること」「自然に生かされていること」です。

台風の猛威に対して私たちは受け身でいるしかなく、共に生きるしかないのです。
そして、今私たちを苦しめる天からの雨水によって、私たちの命が救われるのも事実なのです。

私たちは「自然の一部」にすぎず、存在自体が「自然」であるのです。

自然であることから遠ざかれば遠ざかるほどに、不自然になるのが私たちです。

過剰なものは本来必要なくて、欲張らず必要なものだけ得ていれば十分育ち維持できます。
なので、健康のために特別なものは要らないのです。

私たちは知らず知らずのうちに、どれだけ心身ともに不必要なものをまとっているんだろうと、
そんなことを思ってしまいます。

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