健康観にも多様性

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コラム
人の健康意識というのも実は多様だと感じます。


年齢とともに変化するし、
置かれている環境でも変化します。


若い頃は薬を飲まないことが普通だったけど、
「この歳になれば高血圧の薬くらい飲んでいるのが普通」として
いつの間にか普通が変化します。

周囲に生活習慣病の薬を常用している人が多ければ、
「高血圧の薬を飲んでいるけど、周りにもそんな人たくさんいるし、自分は普通だ」
と認識しがちです。


「普通」は

異常がない問題ない逸脱していない平均的な状態とも考えられるので、
そこにある限り、安定した状態ともいえます。
いわゆる、
問題ない健康的な状態との認識です。


健康って、
とても広義で周囲の環境も影響するものです。

「健康でいたい」

と誰もが願うと思いますが、
その一言「健康でいたい」の中身は
それまで自分が歩んできた道のりから、
自分がこれだと導き出したものなので、
人それぞれです。


性別や肌の色は関係ない
そんな多様性が叫ばれる今ですが、
健康観も多様化して当然です。

痩せている
太っている
そんな体型の多様性が叫ばれないのは
健康と関わるからでしょうか。

適正、普通であれと
常に刷り込まれます。

痩せていてもいいじゃないか
太っていてもいいじゃないか

そう叫んでも、
そのことが、寿命を縮めて健康を脅かすとなると、
その多様性を主張することは、
馬鹿げたこと、
愚かなこととして反発を食らうことなのかもしれません。


太っていても、痩せていても
その人にとってそれが必要で
それがあるから生きていけるのなら、
そうじゃないと逆に辛くなるのなら、
改善するのが難しいのなら、

なんかもう、
「それでいいじゃない」
と思えたりもします。


太っていても痩せていても
それは自らが選んだこと
自らが選んだ現実があるだけのこと。

最終的にしんどいことになっても
それも自らが選んだ結果であること。


外野が「あなたは健康ではない」と教えてあげるのは必要だけど、
それでも「自分はこれでいい」と選んだのなら、
その決断に堂々と責任を持てば良い話だと思っています。


健康観は多様で、そして変化するのもです。

先程も書いたように
年齢や周囲の環境で変わるものでもあります。

年齢を重ねるとは、
経験を重ねることです。

様々な経験をして経験値が上がると、価値観も変化します。

何らかの考えを巡らせ、
生活を改善させる選択もできるのです。


健康観は変化するので、
「その時の自分に相応しい健康へ」と、
何度だって導いていくことができます。

いつもそこが「決定」で「ゴール」ではなく、
いつもそこは「通過地点」。

自分が「これでいい」と選択したことは、
命耐えるまで「通過地点」です。

自分の一生で「健康」を考えるには不変ではいられません。
それだけ、人生は長いのです。
「普通」がいつでもベストなわけでもない。

「その時の自分に相応しい健康」は
いつでも何度でも繰り返し選択されて
その時その人にとって最善であることが
何より大切なのだと感じています。




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