「自助グループ」は過食症や摂食障害に効果があるのか?

記事
コラム
アルコール依存症を代表とする、いわゆる依存症の治療に有効だとされるものに「自助グループ」があります。


「自助グループ」とはWikipediaより

“メンタルヘルス関連の自助グループ(じじょグループ、Self Help Group)とは、なんらかの障害・困難や問題、悩みを抱えた人が同様な問題を抱えている個人や家族と共に当事者同士の自発的なつながりで結びついた集団[1][2]。その問題の専門家の手にグループの運営を委ねず、あくまで当事者たちが独立しているというのが特徴的である
その役割は、このかかわりの中で自ずから問題への取り組みの姿勢や理解の仕方の上で、自己変容的な成長が期待されること、また彼らを取り巻く地域社会との関わり方、受け入れられ方にも変化が出てくることなどがある。“


過食症も依存症のひとつなので、
至る箇所で様々な自助グループが存在しているのではないかと思います。

私は過食症になって3〜4年程経った頃、
今から約20年ほど前になると思いますが、
過食症や摂食障害の自助グループの先駆けのような、某自助グループの集まりに何度か参加したことがありました。


気が狂ったかのように食べては
悲しくて悔しくて泣きながら吐くという
この日々の連続に疲れて
とにかく、この状況が少しでも良くなる可能性があることはやってみようとの思いでした。


都内某所

神奈川県に住む私には、ちょっと距離を感じる場所でした。

自助グループの事務所は普通のマンションの1室で、
数人の運営者と、数人の参加者がいました。
運営者は皆さん、元摂食障害だと言っていました。

当時、摂食障害に関する書籍など、多数出版されていた有名な精神科医が主治医だと言う方もいて
「羨ましい。そんな主治医だったら治るに決まってるよな」なんて思いました。

雰囲気としては、思っていたよりも堅苦しい緊張感があり、
正直あまり居心地の良い感じはしませんでした。


参加者がやることは「自分語り」。

みんな畳の部屋に円になって座って、
順番に自分が摂食障害になった経緯
幼い頃の家族関係のこと
現在の症状のこと
どうしたらいいのかやり場のない思いを淡々と語っていきます。
多くの参加者が涙を流していました。


私は何回通ったかな?
4〜5回かな?
いろいろな人がいました。

「自分語り」は
蓄積された怒り苦しみ寂しさを吐露することによる「浄化作用」で、
「自分で自分を癒やす作業」だと私は思うので、

ほぼ自分中心に繰り広げられれば成功
個人の目的達成なので

一人ひとりが語る内容なんて少しも覚えていませんが、
インパクトのある外観の方は、印象に残っています。


モデル志望で長野から新幹線で仕事をしにきているという、スタイルが良くて綺麗だった女性

典型的な拒食症というか、痛々しいくらい痩せていて目の下にはクマがあり、20代だろうに若さを感じずに
身体はガリっガリなのにアフリカの栄養失調の子どものように、下腹部だけはポコっと出ている女性

普通の人に見えるけど過食症だという男性


自分語りが終わったあとの雑談はよく覚えています。

長野のモデルさんが
食べ過ぎて吐けなくて救急車を呼んで、「胃洗浄してー!」と病院で暴れて叫んだという話は「大迷惑だな、おい」と思いました。モデルさんだから他の人より必死な感じでした。

過食症だという男性は、
女性がなる病気だと思っていた過食症に、なぜ男の自分がなってしまったのかと、まだまだ現状が理解できないと言っていました。


4〜5回通って、
その自助グループには行かなくなりました。

自分には合わないと感じていました。


私はこんなに寂しかったの苦しかったの
私はこうして欲しかったのああしてほしかったのと

みんなで涙を流している風景は「認め合い」なのですが、

私はこんなに寂しかったの苦しかったの
私はこうして欲しかったのああしてほしかったのと泣く姿は

私の目には

「とても子どもで弱い人達」に映り

「私はこんな弱い人達とは違う」と

自分も子どもで弱い人間なのに、
そこにいる人達と何ひとつ変わらない、もしくはそれ以下なのに、
自分を棚に上げて思っていました。


自分と同じ
ということにホッとして安心して自分を癒やすことが必要な時もあります。

けれども、
この時の私は、ホッとして安心して自分を癒やすことが欲しかったのではありませんでした。

ただひたすら症状を止めたかった、治りたかったのです。

だから頭のどこかで
「依存症に効果的な自助グループに参加さえすれば過食症が治る」
そんな都合の良い展開を思い描いていたので、
当てが外れたような気持ちになっていました。


そんな経験から、私は、
自助グループの治療効果は
「タイミング」と「向き不向き」があるような気がします。


「タイミング」は「ホッとして安心して自分を癒やすことが欲しい時」。

このタイミングでの自助グループへの参加は、とても適していると思います。
自分だけじゃないと安心するし、
自分語りをすることで、蓄積された怒り苦しみ寂しさが浄化されるので、
自分で自分を癒やす作業が叶います。

逆に、
私のように過食症を中途半端に受け入れていて、
パワーゲームを始めがちなタイミングは適していません。


もうひとつの「向き不向き」は、

「孤独や寂しさに弱くて、人との関わり合いを多く求める人」は向いていて、

「孤独や寂しさに耐性があって、分かってくれる人が1人いればいい」と思う人は向いていないような気がします。


そうはいっても、
「タイミング」も「向き不向き」も
自分の気持ちを知ったり、
自分の傾向がある程度分かっていないと捉えにくいので、

まずは行ってみる、やってみる、
というのが実際問題手っ取り早いのでしょうね。。

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