ぎふと

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今日は意見の強いことを書きます。
意見が合わないと思った方はすみやかにこのブログを閉じ、スルーしてください。




近年、障碍者に対しての言葉で「ギフト」という言葉を目にします。

ギフテッド(Gifted)とは、一般的な人々と比較して先天的に顕著に高い知性と深い共感的理解、高い倫理観、強い正義感、博愛精神を持っている人々を指す。 知的才能。

特に発達障碍者に使われることも多い言葉ですが。

私はあまりこの言葉が好きではありません。

障碍当事者が、自分のことをそう思うのはとても素敵なことだと思います。
また、障碍当事者の保護者が、そう思う事によりモチベーションを上げることにも繋がるかもしれません。

しかし、何も知らない第三者がそれを言うことは違うのではと強く思います。

もし、その障碍を、ギフトだと言うのなら、あなたは喜んでそのギフトを受け取るのですよね?

どんな人にとっても、大なり小なり生きづらさというものはあると思いますが、それが神様から送られたものなんだから素直に受け取りなさい、と言われて喜ぶ当事者ってどのくらいいるのでしょうか?

また、私は「生きているだけで丸儲け」。
この言葉もあまり好きではありません。

もちろん、自分でそう思いながら生きていくことは素晴らしいと思います。

しかし、「死にたい」と、希死念慮が強く悩んでいる人にかける言葉ではないと思っています。

今、苦しんでいる人に「丸儲けだよ」って、何が丸儲けなんでしょうか?
確かに、苦しさから抜け出せるように、将来的になる人もいるかもしれません。
しかし、暗く、苦しい道のりでもがきながら生きているこの状況の何が丸儲けなのでしょうか?
人生ですから、苦しいことばかりではないかもしれません。一瞬の安堵でとても幸せな時間を過ごすことが出来る人もいるかもしれません。

しかし、自分の命と、自分の人生を秤にかけなくてはならないほど辛いこのときに、「生きていればそのうちいいことあるよ」なんて、何て無責任な言葉なのだろうと思います。
苦しみながら人生を終える人だってたくさんいます。
その人は、今、苦しみ、今、打開策を得たいのです。
何をすれば「いいことあるよ」な人生になるのかを知りたいのです。

他人の人生に無責任な言葉をかけるのはとても簡単です。
なぜならその人になにかあっても、あなたに何も関係ないから。

人は時として無情です。

私は、無責任な言葉は、かけたいと思わない。

それが、私の言葉です。


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