恋愛結婚専科Q&A

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恋愛結婚専科Q&A


幸せの予感・・・ 出会いのスクランブル

 異性の友だちは、わりといるんだけど・・・ 結婚相手とまではいかなくて 自分の感性とピッタリの理想のパートナーと出会いたい・・・ でも、なかなか出会いの機会がなくて

偶然出会った男女が・・・ 大恋愛の末にゴールイン

 偶然出会った男女が・・・ 大恋愛の末にゴールイン こんなドラマのような恋愛結婚を夢見る方は意外と多いようです。しかし現実はどうでしょう?

 多様化する価値観、氾濫する情報、千変万化する社会情勢、高度に情報化されスピード化され、さらにパターン化された現実の社会の中では「偶然」と出会うことすらままなりません。

あっという間に日常という名の単調な一日が終ってしまいます。巨大な社会システムの歯車よろしく、パターン化された無感動で無表情な日々の繰り返し。

 「ドラマのような感動的な恋愛結婚」は 、まさにドラマの中でしか見ることができなくなってしまいました。

 しかし、こうした「価値観の戦国時代」ともいえる高度情報化社会のまっ只中で、「ドラマのような感動的な恋愛結婚」の創出を目指して奮闘しているのが、情報化社会の申し子なのです。

 素敵なパートナーとの心ときめく出会いこそ、人々の心の空白を埋めうる、卓越した手立てとなるのではないでしょうか。

 公私ともに多忙を極める現代人にピッタリの、感動的な恋愛結婚をするためのシステムこそ、私どもの自負するところでございます。

 お友達や知人に「誰かイイヒトいない?」と尋ねた時のような気楽さで、ぜひ一度 結婚相談所・仲人をお訪ね下さいませ。

恋愛結婚専科Q&A Ⅰ

 どうして、結婚しないの? 断定的な表現になってしまい、誠に恐縮でございますが、それは決して結婚したくないからではございません。様々な事情により結婚したいと想うほどの素敵なお相手が、好きな人が目の前にいないからです。

 健全な独身男女であれば、誰だって映画「タイタニック」のジャックとローズのような、また「ローマの休日」の主人公たちのような大恋愛(?)をして結ばれたいと思っているものでございます。

 「まだ、その気がないので・・・」といいますのも目の前に相手がいないからでございます。好きな人がいないのに「その気」なんて出てくる訳がありません。

 ローズだってジャックと出会うまで「その気」はありませんでした。はじめに対象ありき、ですよね。

 どうして、相手がいないの? 「出会いの機会が少ないから」のひと言です。出会いの機会が多ければ多いほど素敵なパートナーと出会える可能性も高まります。もちろん無理をしてまで出会う必要などありません。

 どうすれば機会がふえるの? タイタニック号に乗っていただくか、異性と交流できる場に足を運ぶことです。

 「出会い」はいいけど、「見合い」はいや? 「出会い」も「見合い」もひとつの現象のふたつの表現にすぎません。ほぼ同義でございます。また、「出会い」なくして、「恋愛」なし。まして恋愛結婚なんてあり得ません。どんな恋愛であれ、すべては一瞬の出会いから始まるものでございます。

 そうじゃなくて、見合結婚がいやなの! 当然のことだと思います。周知のとおり見合結婚とは我が国の封建時代の残滓で、基本的人権の保障された現在の先進国で、自らの大切な気持ちを度外視してまで結婚する人などどこにもいません。

 また、好きでもない人と結婚して幸せになれる訳がございません(民度の低い歪んだ社会では個人的な諸価値より全体の論理を優先するため、個人の気持ちなどは二次的なものとして扱われ、個の主体性も育っていないこともあり周囲の言いなりになる人は多いようです)。

 そして、ひとつの出会いを通して恋が芽ばえ・・・ 結婚した時、それは「見合結婚」ではなく「恋愛結婚」をしたと申します。もっとも、恋愛とは主観の問題でもありますので、当事者のそれに対する自覚の浅深が「見合い」か「恋愛」かを決めていくと思われます。

 なるほど、なんとなくわかりました。でも、結婚イコール幸福とは「限らないのでは?」 おっしゃる通りです。

 結婚自体は、その人の幸・不幸の決定的要因にはなりません。結婚ゆえに幸せになる人も不幸になる人もいらっしゃいます。人間の幸・不幸はひとえに、その人の人間としての成熟度にかかっています。

 なぜなら、幸福とはその人の内面世界の実感以外の何ものでもないからでございます(もっとも何をもって幸福とするかは百人百様、一義的に定義することはできませんし、その必要もありません。自分で決めることですよね)。

 そして、周知の通り成熟とは精神学的には自己中心性・他者依存性・魔術的思考性の克服ということになりますが、平たく申し上げれば今のこの時この瞬間を楽しめる、味わっていける(どんな状況であれ)ということで、状況に左右されない主体の深化と確立ということでもありますよね。

 ですから、内的な成熟性の如何が日々の生活、つまり人生の内実(幸・不幸)をも決定していくわけで、飛躍した論理のように聞こえるかも知れませんが、結婚と人間の幸福とは本質的には何の関係もございません。

 しかし、親御さんが適齢期(?)の我が子に対して、「はやく結婚しなさい」とおっしゃることがよくございますが、実はその言葉がけの根底には人類の英知とでも言うべき知恵が隠されていると私どもは考えております。

 ただ単に、心配だからとか世間体を気にしてとか、そういうことだけではないと考えております。

 人間は、異質な他者との全人格的な交流を通して初めて人間的に豊かになれるものですが、その意味では、恋愛そして結婚というプロセスこそ人間を人間たらしめていく絶好のスプリングボードになるのではないでしょうか。

 たしかに、価値観や習慣の異なる他者との共生ほどむずかしいことはありません。また男と女という全く異質な存在だからこそあこがれもし、また幻滅もする。

 しかし、様々な葛藤を繰り返しながらも少しずつ、共に理解し合うことのよろこびや自らの気持ちを伝え合うことのよろこびに気づいていく。本当の豊かさとは何なのか、幸せとはどういうことなのか、身でもって理解していく。

 恋愛とは、ある意味で幻想ともいえますが、その幻想には実は深い深い意味が隠されている。異性に対するあこがれ、恋愛や結婚に対するロマンスにも大切な役割があると私どもは考えております。

 単なる商業主義的な乗りで、うすっぺらな気持ちで「恋愛結婚」をおすすめしているのではございません。

 「大変能書きが長くなってしまいました」 茶道の世界に「一期一会」という言葉がございます。ともすれば、単調な日常の繰り返しとなってしまいがちな日々の生活の中で、ひとつの出会いが自らの人生を大きく開いていくことが、時としてあると思います。

 そして、その大切な出会いを生かしていくのも殺してしまうのもすべては自分自身です。「タイタニック」や「ローマの休日」は、スクリーンの中の素敵な物語でした。

 主人公たちの、心のときめきが聞こえてきそうです・・・。「タイタニック」がどうして、あんなに感動的だったのか。それは主人公たちが「ひとつの出会い」に自分のすべてを賭けたからです。

 ローズは、ジャックのためだったらすべてを失ってもいいと決めていました。ローズにとって、それは単なる自己犠牲ではなく心の底からの歓びでした。そうすることが、ローズの「幸わせ」だったのです。

 ほんの少し前まで、経済的な安定のためなら自らの魂を売ってもいいと思っていたローズでしたが、ジャックとの「出会い」を通して自分にとって一番大切なことは何なのか、はじめて気がついたのです。

 一切の物事を、否、親子の絆さえお金に換算してしまいかねない、まさに泥沼のような現実の世界からローズを救い出したのは、魂が震えるようなジャックへの熱き想い、切なる恋心でした。

 もしかするとローズは初めからわかっていたのかも知れませんね。この「出会い」が自分にとって、どんなに大切なものであるかということを。


人生の主人公である、あなたにもきっとステキな出会いが!
 人生の主人公である、あなたにもきっとステキな出会いが待っているはず。物語を創るのは、あなた自身。演じるのも、あなた自身です。

 世界広しといえど、あなたはこの世にひとりしかいません。かけがえのない人生です。本当に大切な人生です。

 たった一度しかない尊い人生で、どうか生涯の黄金の思い出となるような心躍るような素敵な恋愛を、と願ってやみません。

 心ときめくような幸せの扉を! さあ、あなた自身の手で開いてみませんか!



恋愛結婚専科Q&A Ⅱ

結婚相談所 って見合結婚? それとも恋愛結婚?
 いえいえ、そういうことではないんです。そもそも、結婚に「見合い」も「恋愛」もございません。周知の通り「見合い」とは男女の「出会い」それ自体のことを指し、「恋愛」とは 日本人ですか? それともプロ野球の選手ですか? という問いかけと似たような論理になります。

 えっ? じゃあ結局どういうこと? そうですね、端的に申し上げれば恋愛の密度に多少の濃淡こそあるものの、我が国における大半の結婚は「恋愛結婚」であるということです。

たとえば、熱烈に愛し合っている二人が結婚した時、それは文字通り恋愛結婚ですが、以前は強く愛し合っていたがその後の交際のうちに熱が冷めた状態になって、それでも半分義理で結婚したとき、これも恋愛結婚です。

 また、友人・知人や仲人の紹介あるいは合コンやサークルで出会った二人が恋愛して結婚したときも恋愛結婚です。「合コン結婚」とか「サークル結婚」とは申しません。俗にいう「見合結婚」も同じです。出会いの場やその形態がどんなものであれ、恋愛というプロセスを経た結婚はすべて、恋愛結婚でございます。

 なるほど、つまり結婚相談所って恋愛結婚のための出会いの場!ということですね。

 おっしゃる通りです。くどいようですが、その後が大切なんですね。自分にピッタリの相手とめぐり逢うまで様々な出会いを楽しんでいただき、素敵な恋愛そして幸せな結婚をしていただく、そのお手伝いをさせていただいているのが結婚相談所です。

 これまでは、「結婚(恋愛)は縁のもの」と思われがちでした。ですが、これからは偶然の出会いをお待ちになる必要はございません。

 お友だちや知人に「誰かイイヒトいない?」と尋ねた時のような気楽さで、ぜひ一度 結婚相談所・仲人をお訪ねくださいませ。皆様のお越しをスタッフ 一同、心よりお待ち申しております。



恋愛結婚専科Q&A Ⅲ

Q.「ドラマのような感動的な恋愛結婚」と! 広告に書いてありましたが、これはかなりオーバーな表現ではないですか?
A.と申しますと?

Q.普通の結婚ならいざ知らず、恋愛の、しかもドラマのようなとか感動的なというようなことが、そんな簡単にできるとはどうしても思えないんです。

 もっといえば「売らんがためのオーバートーク」としか思えないんです。たしかに「恋愛結婚専科Q&A」ⅠとⅡを通して「見合結婚」も「恋愛結婚」の一形態にすぎないことは理解できました。

 ですが、それがどうして急に「ドラマのような」とか「感動的な」というところまで飛躍するのか。
 もしそれが本当だとすれば、「ドラマ」の視聴率があんなに上がる訳がないじゃないですか。
A.おっしゃることの意味がもうひとつ、わからないんですが・・・。

Q.たとえば、江戸時代の「忠臣蔵」の主人公たちの「信義」が多くの人々にあれだけ語り継がれてきたのは、様々な理由はあるにしても当時の武士階級のモラルが全般的に地に堕ちていたゆえの美談だったからで、仮に「信義」を守ることが日常茶飯事であったとすれば、あれほど多くの人々の話題にはなっていなかったはずです。

 それと同じように、我々の日常が充分に感動的で充実したものであれば、間接体験としての「ドラマ」や刺激的なテレビ番組など見ませんし、そんな時間ないですよ。本当にやりたいことがあるんですから。
A.なるほど。おっしゃりたいことはよくわかりました。また、大変率直なご意見だと思います。

 ですが、これから申し上げる私どもの主張をお聴き下されば、ある程度、事の真相をご理解いただけるのではないかと思っております。

 「人生は劇」と言ったのは桂冠詩人シェイクスピアですが、結婚だけに限らず人生それ自体つまり普段の生活が劇的で充実した、手応えのあるものであれば、これほどすばらしいことはないですよね。

 また、幸せな結婚と幸せな日々とはほぼ同義でもあります。そうしたことを実現するための方途については古今、様々な人々が論じてきました。

 諸説さまざまですが、当事者の人生(日常の生活)に対する「自覚」の深さと「感受性」の豊かさ等の人格的要素がその要になるという点では、ほぼ一致しております。

Q.「自覚」って、具体的にいうとどういうこと?
A.シェイクスピア流の文脈でいいますと、自分の人生が実は劇であるということと、その劇の主人公は自分であるという現実をキチンと認識するということです。

 私どものような普通の人間ですと「自分は英雄でもスターでもない、ごく普通の、いやそれどころかヘタをすると、とるに足らない人間である」という脚本づけを周囲の人々から受けて成長してきているため(他者の長所を心からほめる人はあまりいません)、総体的に自己評価が低く、自分自身が人生という大舞台の上の輝かしい英雄、つまり主人公であるとは到底思えない心的状況に置かれております。

 加えて、日本社会では一様序列性の強さが人々の劣等感に拍車をかけるため、事態はもっと深刻です。一様性と序列性、つまり自他を比較する中でしか幸福を感じとれないというのが、ほんとうのところではないでしょうか。

 仮に、人生をドラマととらえる思考の柔軟性やそれなりの知性があったとしても、もっといいますと、どうしても主人公つまり世界で唯一の光輝あふれる存在だとは思えない。

 世界で唯一どころか、一千万円のベンツ500台分の価値と、一人の人間の一日の命とどちらが大切か、どちらの方が価値があるのか、即答することさえできない、代替可能な価値の低いものと思って(思わされて)しまいがちです。

 このあたりのところのキチンとした自覚がないと、育てられたようにしか生きれないというのが、どうも真実のようです(私などもその一人ですが)。見せかけの威厳ではなく、静かな自信に満ちて、嬉々として日常を楽しんでいる人は稀有の存在です。

 自らの尊厳性に対する強く深い自覚がなければどうにもなりません。

Q.なるほど。では「感受性」というのは?
A.同じ映画を見ても、感動して涙を流す人もいれば全く何も感じない人もいます。

 「人生とは喜怒哀楽の異名」と言った人がいましたが、たしかに感受性が真に豊かな人には、見なれた日常の風景も、きっと光り輝いて見えていることでしょう。

 単に道の上を歩いているときでも、自分を含めたあらゆるものへの優しい気持ち、しみじみとした懐かしさ、かけがえのなさ、味わい深さで心の中はいっぱいになっているものです。

 感情が平板化した人には、想像もできないような豊かな世界に生きていると思われます。

Q.たしかにそういうことはあるかも知れませんね。
 でも「自覚」といい「感受性」といっても、それが20年なり30年なりの積み重ねの結果としての産物だとすれば、一朝一夕にはどうにもならないのではないですか?
A.おっしゃる通りです。従来と同じような発想のパターンでは、おそらく百年河清を待つに等しい状況になりかねません。

 しかし、パラダイム(思考の枠組み)の転換を成し遂げれば可能性はほぼ無限に広がると思われます。もっともパラダイム転換について述べる余裕はここにはありませんので省略させて頂きますが、その転換のキッカケとなるものこそ恋愛であり、その延長としての結婚であると私どもは考えております。

 ひとつのテレビドラマや映画との出会いが、その人の人生を根本から変えてしまうことが稀にあります。大変大きな影響を受けるわけですが、そういう人は概して元々すぐれた感受性の持ち主で、普段から感動的な、あるいはそれに近い日常を送っている人々です。

 大半の場合には私などもそうですが、たとえそのときは感動したとしても、三日もすれば忘れてしまいます。ドラマは所詮ドラマ、バーチャルでしかないからです。

 マクロ的には、グローバルスタンダードだの維新以来の激動の時代だのといわれておりますが、実際の個々の生活をみてみますと、特別目新しいことがあるわけでもなく、巨大な社会システムの歯車よろしく、パターン化された生活の繰り返しになってしまいがち。

 忙しいわりには刺激の少ない、単調で無表情な変わりばえのしない毎日。そうした無感動な生活から抜け出す、有効な方途こそ、実は男女の出会いであり、恋愛であると私どもは考えております。

 何事でもそうですが、ゼロからひとつの事をはじめるとき、そこにはどうしても大きなエネルギーが必要となります。パラダイムの転換ともなればなおさらでしょう。

 適齢期の男女が出会えば、そこには必ずなんらかの触発が起こります。そしてその触発が深まれば恋愛へと発展していく可能性も高まっていく。

 恋愛とは本来感動的なものですから、そこから生み出されるエネルギーは巨大です。方向性さえ間違えなければ、自らの人生を幸福の軌道に乗せていく、ひとつのキッカケになるかも知れません。

 私どもが本当に申し上げたいことは!「ドラマのような」とか「劇的な」とか「恋愛結婚」とか、そういうことではありません。

 「劇的な」ではなく「ような」ではなく「劇」それ自体なんです。「ドラマ」それ自体なんです。

 恋愛であれ結婚であれ、もっといえば掃除、洗濯、日々の雑事、あらゆることが本物の劇であり、悲喜こもごものドラマであるとの自覚があれば、また大舞台の主人公たるの自覚があれば、その瞬間から人生は燦然と輝き始めるにちがいありません。

 私事で恐縮ですが、これまでの人生を振り返って見ると、ほんとうにいろんなことがありました。「よかったなあ」と思えることも少しはありましたが、淋しかったこと、つらかったこと、恥かしいことや人には言えないこともたくさんあったような気がします。喜怒哀楽のうず巻く、本当にとりとめのない人生でしたが、舞台を照らすスポットライトが当ったその瞬間から、なにかが大きく変わったような気がして、とてもうれしくなったことを昨日のことのように思い出しました。

 人生って、ほんとうに味わい深いものですよね。自らの大切で貴重な人生を、魂が震えるような感動の名作とするのか、茶番劇で終らせてしまうか。その大切な要こそ当事者の自覚の強弱であり、そしてその有効な契機のひとつが男女の出会い・恋愛です。この二つが両々相まって「ドラマのような感動的な恋愛結婚」へと花開いていく。そう私どもは考えております。

 人生を墓場とするのも、天国とするのもすべては本人次第。もちろん決して易しい道のりではありませんが、スタートはいつでも切れます。

 「いつか、どこかで、自分が特別な状態になって、」というのではなく、今、ここで、すでにドラマは始まっています。

 何かを始めるとき、そこには必ずなんらかのキッカケがあるものです。

 私どもの結婚相談所や仲人をその契機として下されば、これほどありがたいことはございません。


ご精読、誠にありがとうございました。
感謝・感謝でございます。



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