中小企業経営のための情報発信ブログ271:日本型リーダーはなぜ失敗するのか

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今日もブログをご覧いただきありがとうございます。
今日は、半藤一利著「日本型リーダーはなぜ失敗するのか」(文春新書)を紹介しつつ、リーダーのあり方を考えたいと思います。
以前、野中郁次郎他編著「失敗の本質 日本軍の組織論的研究」(中公文庫)という本を紹介しました。これは、破綻する組織の本質・特徴を明らかにし、組織の経営に必要な戒めを学べる指南書といってよい本でした。
今日の「日本型リーダーはなぜ失敗するのか」の著者半藤氏は、元文春編集長で「『真珠湾』の日」、「日本のいちばん長い日」(いずれも文春文庫)など多くの著書を書かれ、歴史探偵と呼ばれていました。昨年1月12日に永眠されました。
本書では、日本型リーダーの典型ともいえる「決断できない、現場を知らない、責任を取らない」というリーダーがなぜ生まれてしまったのか、太平洋戦争でエリート参謀の暴走を許したものは何か、を検証しています。
歴史を学ぶことは、そこから得られる教訓を将来に活かし、自分の先入観や固定観念や常識を覆され視野が広がり新しい目で物事を眺めることができるようになるとともに、より良い社会を築くことができるようになります。
サピエンス全史やホモデウスなどの著者であるユヴァル・ノア・ハラリ氏は「歴史を研究するのは、未知を知るためではなく、視野を広げ、現在の私たちの状況は自然なものでも必然的なものでもなく、したがって私たちの前には、想像しているよりもずっと多くの可能性があることを理解するためなのだ」と言っています。また、ハラリは「歴史の選択は人間の利益のためになされるのではない・・・歴史が歩を進めるにつれ、人類の境遇が必然的に改善されるという証拠は全くない」とも言います。
歴史の中には成功事例もあれば失敗事例もあります。何故うまくいったのか、なぜうまくいかなかったのかを探り、そこから得られる教訓をもとにこれからどのように進めていけばよいかを考えることが重要です。
学生時代、歴史と言えば無味乾燥な暗記科目という意識で興味がわかなかった人も多いと思います。しかし、歴史の教訓を、正面教師としたり反面教師としたりして自分を磨くことができるので、歴史(日本史・世界史)は社会人としての教養の一つでもあります。日本型リーダーの失敗を歴史に学ぶ姿勢が新たなリーダーを生み出してくれるはずです。
この本は東日本大震災直後の平成24年に書かれています。そこで東日本大震災当時の政治が引き合いに出されますが、現在の状況にも当てはまります。
マスコミは、東日本大震災後の政治状況を歴史に例えて表現するのが好きで「維新」という言葉を多用しました。また政治家も明治維新が好きで自分を明治維新の人物に例えたりします。しかし、半藤氏は「それはピント外れ、今は幕末・維新の状況とは根本的に違う」と言い切ります。日本の歴史では戦国時代と明治維新という大きな転換期がありました。戦国時代は足利政権の権力統治の体制が壊れたことで、治安・秩序が完全に崩れてしまったという時代です。こういう状況を背景にリーダーシップを発揮したのが、戦国武将たちです。一方、幕末期は徳川幕府の権力機構がしっかりと根付いていて、諸藩も秩序が保たれていました。こうした体制を打ち壊すには「御門」天皇の力を借りるしかなかったのです。つまり、戦国時代は何もないところを戦国武将が突っ走っていたのに対し、明治維新は分厚いコンクリートの壁(旧体制)をぶち壊す必要があったということです。
半藤氏は、現在は「ずばり戦国時代だ」と言っています。現在は下克上の時代、天下を取ろうと思えばだれもが取れる状況になっているというのです。ビジネスでも天下を取ることはできる時代です。しかもネットで繋がりそれが社会を変えるきっかけにもなる、そんな軽い時代なのです。
今リーダーシップが盛んに論じられ、優れたリーダーが求められていますが、そう簡単に織田信長や徳川家康が出てくるはずはありません。国民のレベルにふさわしいリーダーしか生まれないのが歴史の原則です。今の日本にリーダーがいないのは日本人そのものが劣化しているからだと言えるのです。
さて、「リーダーシップ」という言葉は、もとは軍事用語です。ビジネスで用いられる「戦略」「戦術」も軍事用語です。
戦後になるまで一般に無縁だったリーダーシップ論ですが、戦前の日本軍においても参謀本部で軍事学の研究は行っていました。
古く言えば、戦国時代にも織田信長、武田信玄、上杉謙信らは「孫子」「六韜(ろくとう)・三略」といった武経七書を読み学んでいます。
「孫子」には、将たる人間は「智」「信」「仁」「勇」「厳」をしっかり持て書かれていますし、「六韜」には「将には五材十過あり」と書かれ、将には五材「5つの資格」(勇・智・仁・信・忠)が必要で10のやってはいけないこと(十過)が書かれています。
10のやってはいけないことというのは、
①勇敢すぎて死を軽んじてはいけない 
➁性急に前後を弁えず即断してはいけない 
③強欲で自分の利益のみを考え、部下のものまで取り上げてはいけない 
④思いやりの心が強く、決断できなくてはいけない 
⑤知力戦略を心得ているが、いざと言う時に臆して実行できなくてはいけない ⑥軽々しく誰でも信用してしまうのはいけない 
⑦包容力がなく人を許すことが出来ず、侮辱されると怒りだす者はいけない ⑧智慧はあるが頼りがいも責任感も感じられない者はいけない 
⑨自信過剰で何でも自分でやらないと気がすまない人はいけない 
⑩なんでも人に任せてしまうのもいけない 
の10個です。
明治以後になると、クラウゼヴィッツの「戦争論」で、森鴎外がこの翻訳を行っています。この戦争論に挙げられているリーダーシップの7つの要素は、「勇気」「理性」「沈着」「意志」「忍耐力」「感情」「強い性格」です。
戦争論には、「攻撃は闘争よりはむしろ敵国の領土を絶対的目的とするからである。それだから戦争の概念は、防御とともに発生するのである。防御は闘争を直接の目的とするからである」と「戦争は防御から始まる」と言っています。攻撃側が暴れ回っても相手の抵抗がなければ戦争にはなりません。戦争になるかならないかは攻撃する側にあるのではなく、攻撃を受ける側の問題なのです。ところが、帝国陸軍はこれを読み誤り、ABCD包囲陣や石油全面禁輸に対抗するために防御ではなく他国領土侵略という攻撃に打って出てしまったのです。「攻撃は最大の防御なり」は間違いです。
半藤氏は、日本のリーダーシップの源泉は西南戦争での勝利にあったと言います。西郷軍は歴戦のつわものぞろい、軍人対素人の闘いですから、新政府軍は総督には有栖川宮熾仁親王というミカドの名代、山形有朋を参謀として最新鋭の装備を整えて戦うしかなかったのです。その結果政府軍が勝利して、「参謀が大事」という考えが生まれます。
こうして、「参謀重視」の日本型リーダーシップが誕生するのです。
明治の帝国陸海軍は日露戦争の体験をもとに、東郷平八郎と大山巌に代表される「威厳と人徳」がリーダーの基本になります。昭和期になると、この「威厳と人徳」は「作戦にうるさく口出ししない指揮官」「重箱の隅をつつかない指揮官」そういう人物像に移っていきます。
昭和の陸海軍にはリーダーと責任の関係において、①権限発揮せず責任も取らない ➁権限発揮せず責任だけ取る ③権限発揮して責任取らず という3つのタイプが生まれます。
どちらかと言うと、トップの指揮官が細かく口出しすることが嫌われたというのが日本型のリーダーシップの特徴となっていきました。リーダーシップの観点から太平洋戦争を見ると、本当の意思決定者は誰かが見えてこない、というか、内部者にさえ分からなかったのではないかという状況です。
日本型リーダーの特徴である参謀重視ですが、参謀は責任は取らないのです。参謀というのは、斬新な作戦行動を練ることが任務ですが、責任を取らせると狼狽えたりいじけたりして自由な発想が出来なくなるからです。それでは誰が責任を取るのか、その責任の所在すらあいまいになっていたのです。参謀が好き勝手に作戦を練って命令し、その結果に対して誰も責任を負わないという日本型リーダーシップが生み出されたのです。未だに責任をとろうとしないリーダーが根強く残ってしまっているのです。
そうした中にも優れた参謀はいました。本書でも、優れた参謀の条件として、①指揮官の頭脳を補うことが出来ること
部隊の末端まで方針を徹底させること 
将来の推移を察知する能力を有すること
が挙げられています。
本書では、太平洋戦争におけるリーダーシップについて、事細かく分析がなされていますが、それは紙面の関係上省略します。
半藤氏は、太平洋戦争の教訓の中から、リーダーシップの条件として次の6つを挙げています。
 Ⅰ:最大の仕事は決断にあり
 Ⅱ:明確な目標を示せ
 Ⅲ:焦点に位置せよ
 Ⅳ:情報は確実にとらえよ
 Ⅴ:規格化された理論にすがるな
 Ⅵ:部下には最大限の任務遂行を求めよ
繰り返しになりますが、日本型リーダーシップは「参謀重視」から「上が下に依存する」という悪い習慣が慣例となり、参謀が責任を取らないのみならず、上も責任を取らないという状況が生み出されてしまったのです。軍司令部は参謀の代読者、「細部は参謀をして指示せしむ」ということです。誰が本当の意思決定者、決裁者かは分かりません。
今も全く同じです。首相は官僚が作成した文面を読むだけ(時として読み間違え)、自分の言葉で話すことが出来ず、「担当大臣が」「各都道府県の知事が」といって責任逃れをする、岸田首相は「検討」という言葉を多用し結論がない、困ったものです。これでは、まともな政策など実行できません。
半藤氏は、本書の最後に、「大本営陸海軍部は危機に際して『いま起きては困ることは起きるはずがない。いや、ゼッタイに起きない』と独断的に判断する通弊がありました。今日の日本にも同じことが繰り返されている」と東日本大震災という国民の生命と健康と日々の生活に関わる一大事において、そうした通弊がそっくりそのまま出ています」と述べています。これはそのまま現在の新型コロナ禍に当てはまります。
日本のリーダーは、このところリーダーのかけらすらありません。冒頭に書きましたが、今リーダーがいないのは日本人が劣化しているからです。もし、会社にリーダーがいないのなら、それは社員が劣化しているからです。
歴史に学んで本当のリーダーシップは何かを考えることは重要です。また「孫子」、クラウゼヴィッツ「戦争論」といった古典でリーダーの在り方を学ぶことは必要だと思います。
これは、国民一人一人が真のリーダーを選ぶためにも、また企業においてリーダーを生み出す(育成する)ためにも必要のことではないでしょうか。
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