マスメディアとマイクロメディア

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コラム
近年、私は新聞や雑誌を殆ど購読しなくなった。
必要な時に確認の意味で買うことはあるが、いわゆる定期購読(=サブスク)をしなくなって数年経つ。
その理由は何故かを考えてみた。

始まりは定期購読をしていても読まずに、そのまま積んどくことが多くなったことがあるように思う。
それは新聞の情報量が多くなってきており、すべてのページに目を通すと2・3時間はかかってしまう点にあったように記憶している。
国内はもちろんのこと海外の情報にも目を通すし、政治・経済・文化・社会・娯楽といった様々な分野に目を通すと結果的にはそんな風になってしまう。

社会との関わりが日本国内には留まらず、世界との距離感が近くなってきていることにも起因しているように思う。一種のグローバリズムの影響なのだろう。
そしてもう一つの原因はやはりインターネットの浸透であろう。

新聞を読まない日はあってもヤフーニュースなどを見ない日はない。インターネットで配信されるニュースは多くのメディアを網羅し、関心のある情報をその中からチョイスすれば事足りるからである。
しかもネット配信のニュースは、国内外の右から左までの陣営の情報の閲覧が可能で、それぞれの立場の情報の伝え方が判って、参考になる事が多い。

更にそれらの中には、その分野の専門家と思われる人たちが深堀りしたり、事件や事象の背景にまで細かく言及していて、分析が行われている記事にも、お目にかかる事が出来る。クオリティの高いジャーナリスティックな記事も、結構目にすることがある。
インターネットでは情報スピードの速さと共に、時間を置いての質の高い分析記事も手に入るのだ。

もちろんすべの配信記事が客観的で、質が高いというわけではない。とりわけ個人が発信する記事やコラム類には時折「?」を感じるような、モノもある。そういう場合は配信している媒体や記事作成者の名前を記憶していて、以降はフィルターをかけるようにしている。
客観性や深堀り・分析といった専門性やクオリティを感じない情報や記事は、私には参考にならないからである。


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いずれにしてもそのような事もあり、私の中で新聞や雑誌に対する接し方が変わってきている。たぶんこういった現象は私一人にとどまらず、少なからぬ人々が同様のスタンスをとるようになっているのではないか、と思われる。
したがってこの傾向というか潮流は、新聞や雑誌といったマスメディアにとっても、経営の根幹に関わるような、大きな変化や影響が起きているのではないかと、推察される。即ち読者数の少なからぬ減少であり、同時に購買額の減少である。
実際マスコミの代名詞でもある「全国新聞紙」の購読部数はここ10年で4割減、5割減に陥っているらしいのだ。

そしてまた同様のことは、TVの世界でも起きているのではないかと思われる。とりわけ地上波の世界で同様のことが起きている様だ。
TVに「大人の見る番組が無い」といわれて久しいが、人生経験をある程度積んで人生や人間関係の表も裏もある程度経験している、私達のような中高年層が見たくなるような番組が少なくなっているし、それなりのクオリティの高い番組が少ないことも、TV離れの原因の一つとなっているであろう。

バラエティ番組やお笑い芸人・タレントが中心の番組などは言うに及ばず、連続番組などにおいても上っ面の人間関係や、ストーリーの先が簡単に予測され得るドラマを見てもつまらないのである。
それにネット配信映画/TVやBS放送・CATVといった、海外を含むより専門性の高い番組を、多くの媒体を通じて見る事が出来るようになっている事も、少なからぬ原因の一つとなっているようだ。

要は選択肢の激増によって、選ばれる理由や価値・クオリティを持たない番組は視聴の対象にならないわけである。
更にまた最近は動画配信やYouTube、アマゾンのファイヤーTV等の定額・低額や無料番組の配信の登場も、ある程度影響しているのではないだろうか。

この現象はかつて映画業界やラジオ業界が直面した問題であり、近年ではDVDやCDレンタル業界が直面している問題でもある。
新たなテクノロジーや媒体の登場による、既存秩序の崩壊と再編といった問題であり、同時に視聴者・利用者の専門性の高まりや多様化・グローバル化、といった環境の変化に関わりがあるように思われる。

しかしながら映画業界やラジオ業界がそうであったように、新聞・雑誌・地上波TVが消滅するという事にはならないであろう。淘汰はされ再編はされてもキット存続はし続けるだろうと思われる。
そしてこれからは一つや二つの寡占的なメディアが、マーケットに対して大きな影響力を与え続けるという事が、無くなって行くことが予測される。
マスメディアの存在価値の相対的な低下や、社会的な影響力の低下である。


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アメリカのトランプ前大統領が既存のメディアを介さず、ツイッターなどで自身の支持者に直接働きかけ発信続けるという行動は、この潮流の変化をある意味象徴しているように、思うこともできる。
ツイッター(X社)やフェイスブックといったSNSを介した個人の情報発信装置の登場は、マイクロメディアの登場や浸透と言っても好いだろう。

そしてこの大きな流れや、新しい動きはこれまでのマスメディアにとって代わって、今後ますます進行し浸透し、広く深く進んで行き社会的な影響力を発揮して行くのではないだろうか。
と同時にこう云った事態の進行は、私などのような一介の中高年であっても、HPという自らの発信媒体を確保することで、自分の関心ある領域について発信し続ける事が出来る事を意味する。

そしてその結果、私の発信するマイクロメディア(HP)であっても、年間数万人の人々に閲覧し続けて貰ってられるのも、このような新たなテクノロジーの普及や、環境の変化といった大きな潮流があるからであると、思う事もできるのである。
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