集中豪雨と祇園祭

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コラム
毎年この時期に成ると、日本列島のどこかで集中豪雨が発生し、多くの犠牲者が出る。

何年か前に福岡県の筑豊エリアを中心に大水害発生し、その翌年は瀬戸内海を挟んだ中国地方南部と四国北部とに集中豪雨が発生して、多くの方が犠牲に成っている。伊豆半島の伊豆山辺りの崩落というのもあった。
そのたびに数百人を超える方が亡くなったり、安否不明者も数十人は発生する事がある。痛ましいことである。
亡くなられた方や行方不明の方々にはそれぞれの家族があり、様々な人生があることを思い、その喪失感や哀しみの大きさを想うと、ホントに痛ましいことだと思う。

また犠牲に成られた方々の、その瞬間のエピソードが後々に報道などで克明に知らされ。それらの状況を知るにつき、犠牲者の無念さが想定できしばしば心が乱れる。
改めて犠牲に成られた方々の、ご冥福をお祈りします。 合掌

土砂崩れ.jpg


実は私自身小学校6年生の秋に台風の影響で、裏山の土砂が崩れ住んでいた家が数mほど前方に流された、という体験をしている。今から半世紀ほど前の話ではあるが・・。

その時は裏山の異変に気が付いた父親の誘導で、早めに知人宅に避難し土砂崩れの瞬間は免れたが、もしそれを体験していたら今でもトラウマに成っていたかもしれない。

私はこの時期に発生する河川の氾濫や山崩れの映像を見ていて、静岡県田子の浦の海辺の小さな公園に祀られていた、「阿字と竜神様」を祀った神社(阿字神社里宮)の事を思い出した。

古代や中世の人々はこの自然災害の源が、集中豪雨や台風といった自然災害によるのではなく、雨をつかさどる龍神様のお怒りだと考えていたようだ。
確かについ先日十勝の帯広空港近くで起きた竜巻などの映像を見ると、龍神様の存在を想像するのも無理はないかと、思ったりもする。

まして自然科学の知識や情報が無い、陰陽道が社会の共通認識であった古代や中世の、時代の事であればそんな風に思い描く事もまた、無理もなかったであろうと思っている。
そして同じことが実は祇園祭の御霊会や、祇園神社の神様「蘇民将来」の信仰にもつながっていくのもまた、自然な流れだと思っている。。

周囲を比叡山や北山等の山々に囲まれた山城(背)之國京都では、梅雨の時期には高瀬川や鴨川・桂川・木津川といった河川がたびたび氾濫し、市井の人々に大きな被害や犠牲をもたらせて来た。

そして、その氾濫や水害に伴って感染症や伝染病といった疫病が広がり、そこから更なる二次被害や犠牲者が発生してきたのである。

それは現代においても自然災害の発生した後、医療関係者が被災地周辺の河川の氾濫地域で、一生懸命感染症対策を講じている姿を見ても、想像することが出来得るのである。


京都祇園祭.jpg

京都の祇園祭は梅雨や集中豪雨が発生する7月の中旬に 二度にわたって催されるのだが、それはこの時期に発生する集中豪雨と深いつながりがあるようだ。
集中豪雨による河川の氾濫がもたらす災害や疫病が発生する事を、祭りといった季節の行事とする事で「注意喚起」する、という目的もあったのだろうと私は想っている。

「祭り」という行事を通じて、集中豪雨への意識付けや備えの予告といった効果を狙った事も、あったのではなかったかと思うのである。
その一方で、この時季の大雨や豪雨によって、過去に河川の氾濫や感染症等の疫病によって亡くなられた方々の、鎮魂のための御霊会という本来の祭の役割も当然持っている。
であるからこそ「スサノウノミコト」や「蘇民将来」という、伝染病に打ち勝つ霊力を持った、疫病退散の神様を主神として祀っているのであろう。

ほぼ同時期に行われる博多の祇園祭なども、そういった集中豪雨や疫病の発生を思い起こさせ、また退散させるための行事として執り行われて来た、と私は想っている。
博多祇園祭の行われる中州界隈の街は、梅雨やこの時期の集中豪雨によって引き起こされる、那珂川の氾濫による水害の直接的な被害を受けて来た、という歴史をもつからだ。
これと同じ事は、新潟県の上越市直江津の「祇園祭」でも言える。関川という暴れ川の日本海側の河口域にある港町だから、である。

その意味では全国の祇園神社(八坂神社)が祀られ、祇園祭の行われている地域というのは、かつて集中豪雨などによって河川の氾濫や、その後の疫病の被害に見舞われた地域であったという事を、知ることも出来る。

自分の居住地域に祇園神社や八坂神社が在り、祇園祭の風習が残っている地域に暮らす人達は、「祭り」というイベントを通じて先祖が残してくれた警告に思いを馳せ、当該地が水害を中心とした自然災害がいつでも起こりうる地域である事を自覚して、災害から身を守るために常に備える事が必要であろう。

日本全国に鎮座する「八百万(やおよろず)の神」というものはそう言った、先祖や先人たちが残してきた知恵や警告の、記憶や記録の一つなのではないかと私は想っている。

「祭り」という華やかな行事の裏には、そのような先人たちの警告や知恵といったものが潜んでいる事をも知っておくことが、彼らへの感謝やリスペクトにも繋がって行くのではないか、と私は考えている。


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