ダメ論文に共通するイントロダクションの2つの特徴とは

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論文のレフェリーやってますが、別に偉い先生というわけではありません。多くの論文が毎日投稿されるのですから、偉い先生だけにレフェリーをやってもらっていたら先生達がパンクしてしまいます。基本的にレフェリーの依頼は論文を書いた事のある人に来ます。大学院生とか、私のような企業内研究者のところにも依頼は来るのです。ジャーナルの編集者はたいがいベテランの研究者で、投稿された論文原稿を先ず編集者自身でザッと読んで、そして誰にレフェリーを依頼するかを決めます。ヘボ原稿を偉い先生に読ませたら「こんなものを私に読ませるのか」と叱られてしまいますから、ダメっぽいと判断した原稿は私みたいな無名の人のところに送るんですね。だから、私がレフェリーを務めた原稿はリジェクトが多いです。偉くも無いのに、人の作品を「こんなものは」とこき下ろすわけですから心が痛みます。自分って嫌な奴なのかな、なんて落ち込むこともあります。でもホントにダメな原稿が多いんですよね。。。最近になってアクセプトできる原稿が来るようになりました。少し認められて、良さそうな原稿を送ってくれるようになったのかなーなんて、嬉しくなります。
 さて、表題のダメ原稿によくあるパターン。いけてないイントロダクションのお決まりのパターン一つ目は、

その分野の歴史だけを延々と書き並べている

えっ?イントロって歴史を語る所じゃ無かったの?もしそう思ったのなら、今すぐに認識を改めましょう。
他の論文もみな、その分野の歴史について語っています。では優れた論文のイントロは何が違うのかというと、

その研究が歴史のどこに位置づけられるかを描いている

という事です。先ず当該分野の重要性を1~2行で語り、昔まで遡ったところから歴史を語り、どのような発明や発見があったかを紹介してその分野の発展を語ります。次に、これまでの研究で明らかになっていないことや、できなかった事を紹介し、それらの課題が重要である事を語ります。そうしてから、段落を変えて、「In this study」とかのお決まりのパターンで、その研究がこれらの課題を解決した、あるいはその手がかりを得たという事を紹介するのです。研究成果が意外性のある発見だったなら、従来信じられてきた事を紹介してから、「しかしながら・・・」とその意外な発見を紹介するわけですよね。逆に従来の知見に沿う結果の場合は(こちらの方が多いでしょう)、対抗する意見の存在を紹介したりしてその知見にまだ確証が得られていないことを強調してから、自分の研究について語ればいいですよね。
 イントロというのはこういうものなので、ただ歴史を語ればいいというものではないし、同じ分野の論文であっても同じイントロになることはありえません。だから、他の何かの記事からコピペしてイントロを作るなんて事は考えられない事なのです。英語のintroductionには、「紹介」という意味があります。レフェリーをしてダメ論文に出会った時に私がよく使う決まり文句がこれです。
  The purpose of introduction is introducing your work.
イントロは自分の研究を紹介する所。査読を通すためにもとても重要です。
  そして、ダメイントロの2つ目のパターン。それは

やたらに長い

「私、ちゃんと勉強しました-」って言いたい気持ちが伝わってきますが、読者はあなたが頑張ったかどうかに関心ありません。先生に提出するレポートじゃないんです。確かに引用論文が少ないとちゃんとした研究かどうか疑わしく感じるものですが、かと言ってたくさんあれば立派に見えるわけではありません。収集した文献を全部紹介しなければいけないような錯覚、せっかく頑張って読んだんだから引用しないと損な気持ち、それは私も同じです。でも、長~い論文を読まされるのは辛い、というのは他の読者も同じなんですよね。そして何より、

  読者より先にレフェリーの機嫌を損ねます。

だから、本筋に関係ない話は、切りましょう。ばっさり切りましょう。
 というわけなんですが、そうは言ってもなかなか書けない・・・そうですよね。私も結構悩みながら書くんですが、そんな時に役に立つのが第3者に見てもらう事です。それもちょっと畑違いの人に見てもらうのが良いです。読んで理解できる畑違いの人なんていない・・・。そんな時は、私にご相談ください。幅広い分野を経験しているので専門外であっても大抵のことには入っていけますので、お力になれると思います。
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