異教徒は人間ではない、だから殲滅すべきだ-宗教の問題
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昨日の続きです。
昨日、アメリカの日本への原爆投下の底には西欧人の人種差別意識があると書きましたが、加えて、宗教問題があります。
なんでも、広島に原爆を投下したB-29戦略爆撃機「エノラゲイ」には兵士12人(全員、もしくはほとんどがカトリック教徒)に加えて、神父が1人乗り込んでいたとの記録が残っているそうです。
機長や乗組員が原爆投下を恐れずに実行できるようにとの配慮ですね。
神父や牧師が兵士の士気を鼓舞することは今でもよくあるようですが。
ついでに書いておくと、当時、プロテスタントの兵士とカトリックの兵士では、前線に向かうのはカトリックの方が多く、その理由は差別だったとされています。
ただし、これらの話は認知科学者 苫米地英人氏の著書に書いてあることであり、確証はないことをお断りしておきます。
ご存じのようにアメリカ人の多くがプロテスタントで欧州諸国の人たちはカソリックが多数派ですが、彼らは仲が悪いとはいえ、同じキリスト教ですから価値観がほぼ同じで分かり合えることも多いのです。
これがイスラム教や仏教となると根本的に違うために、いってみれば彼らには理解不能です。
しかも日本は仏教と神道が混じり合っている上に、そもそもそれほど信心深くもありません。
そのため、彼らにとって、日本人は謎の民族であり、殲滅させても構わない存在だったのですね。
そういえば、現在でもアメリカの大統領は戦争を起こす前の演説で必ずアメリカには神のご加護があり、これは聖戦だといったことを話します。
極端にいえば、異教徒など人間ではないと考えているわけで、人間ではないからどんなに残虐なことでもできるわけです。
恐らくベトナム戦争でも事情は同じだったでしょう。
アメリカ人はベトナム人なんか人間ではないと思っていた。
そして楽勝のはずだったのに泥沼化し、結局は敗北します。
彼らは驚いたでしょう。こんなはずじゃなかった。
それから非西欧人や非キリスト教徒に対する認識も徐々に変わってきたような気配はあります。
しかし、何度もいいますが、彼らの心の底には今でも異教徒を理解不能で恐怖を覚えるような存在であるとする気持ちが今でもあります。
それでそれが何かのきっかけで吹き出してしまう。
アラブ人を始めとするイスラム世界の人たちへの対応をみればわかるでしょう。
しかし、これは心の深奥の問題ですから、解決は不可能でしょうね。
では