「供述弱者」の問題

記事
コラム
一昨日の記事に関連しています。

「供述弱者」と呼ばれる人たちがいるのですが、ご存じですか。

ほとんど知られていないかな。

・会話で相手にうまく説明できずいつも歯がゆい思いをしている

・頭の中ではいろいろ思っていても言語化し言葉で発することができない

といった悩みを抱える人たちのことです。

彼らは、言葉で人にうまく伝えられず、「職質にあうとプレッシャーから普段以上にテンパってしまい不審者になってしまう」など、緊迫した場面ではより困難になることがあるんですね。

知的障害者や発達障害者(および境界知能者)がこれに当てはまるケースが多いのですが、相手の言葉を理解する能力や語学力が乏しいため、自分の思いや意見をうまく表現できず、結果的に取り調べや裁判で自分を守ることができないために、事件や事故の当事者になった際、捜査の取り調べや裁判で不利益を被ることがあるとのことです。

たとえば、こんな事件が起きています。

2007年に佐賀市で知的障害のあった安永健太さん(当時25歳)が警察官5人に取り押さえられ、直後に急死しました。

健太さんは通っていた作業所からの帰路、自転車で蛇行運転をしていたとされ、警察官から停止を求められました。

しかし突然のことで混乱したのか、そのまま進み、停車中のバイクに衝突して転倒。

そして駆けつけた警察官の手が肩に触れたため驚いて抵抗。

健太さんを人相・風体からアルコール中毒者か薬物中毒者に見た警察官は「ウー」「アー」と言葉を発する健太さんを5人がかりで取り押さえ、うつ伏せにし、手錠をかけました。

その直後、健太さんは突然意識を失い、命を落としました(因果関係は不明)。

健太さんの父親は「『ウー』『アー』という言葉は(家族も)誰も聞いたことがない。だからよっぽどびっくりして、言葉が出なかったんだろう。いきなり後ろからだと、親が触っても驚く」と話しています。

警察官らは健太さんに知的障害があることに気づかなかったとのことです。

父親は真相を知るために裁判を起こしました。

結果は「警察官の対応に問題はなかった」です。

父親は警察官に障害に対する知識や理解があれば、息子は死なずにすんだのではないかと考えています。

父親の弁護士も「警察の対応には4つ問題があった」と指摘しています。

「1つ目は健太さんを精神錯乱者だとみなした点だ。健太さんが『ウー』『アー』という言葉を発しながら両手を振り回して抵抗したことから判断したというが、それはびっくりしてパニックになり自分の置かれている状況をうまく説明できない、まさに供述弱者だったからだ。2つ目は健太さんを5人もの警察官で押さえつけた点。3つ目は押さえ続けていた10分の間、誰一人として健太さんの様子を確認しなかったことだ。4つ目、多人数でうつ伏せに押さえつけ、さらに後ろ手に手錠をかけたのは、明らかに過剰で相当性を逸脱していると考えられる」

以下、私の意見です。

自転車で蛇行運転をしていて、警察官に停止を求められても、停止せず走り続け、バイクに衝突し転倒。駆けつけた警察官に抵抗し、「ウー」「アー」としか言葉を発しない成人男性を5人がかりで取り押さえ、うつ伏せにして手錠をかける。

私にはこの警察官たちの対応が間違っていたとはとても思えません。

健太さんを「人相・風体からアルコール中毒者か薬物中毒者と見る」のは当然のことでしょう。

逮捕時に相手が障害者である可能性を考える余裕などないのは仕方がない。

まず無抵抗の状態にしないと警察官の身が危ないですからね。

その直後に健太さんは死亡していますから、警察官にはそれを確かめる時間もなかった。

「5人がかりで取り押さえ、うつ伏せにして手錠をかけた」ことも薬物中毒者や精神錯乱者の奮う馬鹿力を考えれば正当としかいえません。

なによりも考えるべきは、周辺に人がいた場合はその人たち(この場合はいなかったようですが)、そして警官自身の安全なのです。

同弁護士は「知的障害の有無よりも、コミュニケーションに支援が必要な方かは、前提の知識があればわかると思う。そういった方々が普段から地域の中にいることを考えてほしい」と訴えています。

(以下は生成AIによる添削後、更に修正したものです)

その通りだと思います。

しかし、まずなすべきことは、外見からはわからない困難を抱えている人へ向けた「ヘルプマーク」をもっとわかりやすくし、装着を義務付けることでしょう。

また、そのマークの意味を警察官だけでなく、一般市民にも周知させていくことも重要です。

そうすれば、健太さんの事件も起こらなかったのではないでしょうか。

では

サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す