ある高齢の女性Aさんの話です。
Aさんは東京都内の老人保健施設で暮らしていましたが、40度近い高熱が続いたため、近くにある急性期病院に救急搬送されました。
肺炎で一時は危険な状態だったものの、その後回復。
しかし入院から約半月後に、担当医から「誤嚥のリスクがあるため、経口摂取は危険」と言い渡されます。
そして、嚥下内視鏡検査の結果「経口摂取不可」の判断が下され、「禁食」となりました。
つまり今後は何かしらの延命措置をするか、何もせず、そう長くない期間で訪れるであろう死を待つかの判断をしなければならなくなったということです。
Aさんの夫は「命が助かるかもしれない方法があるなら、それを選んでほしい」とし、長女も「このまま別れたくない」といいます。
これに対して、次女は「母には穏やかに逝ってほしい」とは思っていましたが、いきなり決断を迫られ、心が乱れます。
彼女もとにかく生きていてほしいと考えたのです。
結局、家族全員の意見で延命が選ばれました。
そして、Aさんもこれを了承。
「いいわよ、したいなら」
まず、鼻から管を入れる経鼻経管栄養を試しました。
しかし、これはAさんにとって大きな苦痛であり、抵抗感を示したので中止。
胃ろう*はAさんが以前から拒否していました。
*胃に穴をあけて専用のチューブを挿入し、栄養補給をする方法
結果、腕の静脈に管を入れて栄養を取る中心静脈栄養が始められます。
Aさんは24時間腕につながれた管から取る栄養だけで命をつなぐようになりました。
皆さんはどう思いますか。
Aさんの家族の気持ちが良くわかるという人も多いでしょう。
しかし、申し訳ありませんが、私には、彼らは自分たちの自己満足のために、Aさんを無用に苦しめているだけだとしか思えません。
Aさんは「いいわよ、したいなら」といっていますが、これは家族を気づかっての言葉でしょう。
心から望んだとは思えない。
たとえば、延命措置では患者が溺れたような状態になって苦しむといわれています。
患者が、どんなに苦しくても、どんな状態であっても生き延びたいと思っているのなら延命措置もいいと思いますが、そうでないのなら、適当なところでは打ち切るべきでしょう。
そして「看取り」*を行います。
*無理な延命措置などは行わず、高齢者が自然に亡くなられるまでの過程を見守ること。
ただし、延命措置をしないと、病院ではすることがないということで退院を求められることが多々あり急に介護負担が増大する可能性はありますが。
大体、患者の家族は延命措置といわれるとろくに考えずにすぐに希望する傾向があります。
延命措置以外の選択は殺すことになると思ってる人が多いのです。
いずれにしても、できるだけ延命措置について学び、早く死に方について話し合っておくべきでしょう。
これも前に書きましたが、私は延命措置を一切拒否します。
それどころか高額の手術やその他の治療も要りません。
無理に命を引き延ばす意味がないと考えているからです。
ただし、これは私自身の終末についての個人的な考えであり、他の高齢者の方がどのように思われ、どのような判断を下されても、反対や批判をするつもりは毛頭ないことをお断りしておきます。
では