大災害時には女性死亡者の方が圧倒的に多い

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皆さんもご存じのとおり、トルコ南部のシリア国境近くで大地震が発生し、これまでに合わせて3万5000人超の犠牲者が出ています。

そして、その原因の一つが違法建築だそうです。

耐震建築のはずがまったく地震に耐性がなく、あっけなく倒壊。

役所と業者の癒着も明らかになっていますが、責任追求から逃れるために、飛行機で逃亡を図る建設業者が空港で数名逮捕されてました。

それで思い出したのですが、少し前に社民党の大椿ゆうこ氏が朝日新聞の天声人語の「この国の性差別構造により阪神・淡路大震災時に女性死者が約1000人多かった」との文章を引用し、これには「性差別が背景にある」といった発言をしています。

当然批判が殺到しました。

「エセフェミニズムのために認知が歪んでしまっている」

「なんでもかんでも『性差別』に結びつけないと気が済まないのか」

実は、天声人語には「夫に先立たれた高齢女性が少ない年金で暮らすために木造の古い住宅など耐震性の低い住居に住んでおり、そのため建物の崩壊などによる犠牲者が多かった、というのが女性死者が多かった理由の一つである」と書かれているんですね。

いつも通りの都合のいい曲解。

それはいいとして、大災害時に女性死亡者数が圧倒的に多いことは事実です。

以下、米系国際NGOのMercy Corps洪水防災プロジェクト・アジア統括 大倉瑶子氏の文章を参考にしています。

女性が災害で被害を受けやすいことは、世界各地の事例や研究で明らかになっていますが、その原因として指摘されているのが、女性としての「性別」による結果ではなく、社会的、経済的、そして政治的に醸成された「ジェンダー」の構造や格差です。

たとえば、2004年のスマトラ沖大地震・インド洋津波では、インドネシアのアチェでの女性死者数が男性の3倍に上りました(死者の8割が女性の村もあった)。

しかし、人口構成比は、女性が男性より多かったとはいえ、差はわずかです。

ではなぜこんなに大きな差が出たのでしょうか。

アチェでは女性や女の子は木を登ったり、泳いだりすることが慣習としてなかったため、津波が到達した際、サバイバルの基本的な手段が男性や男の子に比べて限られていました。

また、普段から女性は子どもや家族の面倒をみる役割を担っていたため、彼らのケアをしているうちに被災したのです。

また、1970年にバングラデシュで起きたサイクロンでも、女性の死者数は男性に比べて14倍にも達しています。

141カ国を対象とした研究では、災害の死者数は男性より女性のほうが多く、その差は男女の不平等な社会的、経済的地位と密接に関係すると指摘しています。

つまり、女性の死者が多い原因は、生物学的な「性別」ではなく、社会的に醸成された「ジェンダー」によるものなのです。

日本も例外ではありません。

東日本大震災でも岩手、宮城、福島県における死者数は、女性が男性より多く、特に80歳以上の女性は、3県の人口の1割に満たないにも関わらず、女性の死者数の4分の1以上でした。

インドネシアのアチェの事例ではジェンダー差によって女性の避難が遅れましたが、逆に東日本大震災では、女性は避難の呼びかけの情報を家族や近所から入手し、複数人で避難するなど、地域の人とのつながりが強いことも、被災者へのアンケート調査で明らかになっています。

また、災害後の復旧作業でも、固定的な「ジェンダー・ロール」(社会的役割)の意識により、がれき処理は男性が担当し、避難所の食事準備は女性が担当する傾向が見られたそうです。

しかも、男性は対価が支払われる「仕事」、女性は無償の「家事」という、普段からのジェンダー概念がそのまま転嫁され、がれき処理には日当が支払われるのに対して、食事準備には対価が払われなかったんですね。

大震災時に女性の死者が多いのは「性差別」によるものと結論付けるのは早計ですが、災害時にもジェンダーによる格差が見られることは否定できません。

東日本大震災の被災3県では、避難所の設計や運営の責任者である自治会長は96〜97%が男性だったそうですが、そのために女性などへの配慮が必要だという視点が見落とされることが多かったとのことです。

こうした傾向は日本の儒教的な習慣からきており、一朝一夕に改善することは難しいと思いますが、大災害時にまで従来の男性優位のシステムを堅持するのではなく、少なくとも女性を副会長を任命するなどの改革を考えるべきでしょう。

では

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