くだらない面子や見栄と本当のプライドとの違い
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今日はプライドを取り上げます。
ウクライナ危機について書いているうちに何度か頭に浮かんだからです。
プライドという言葉を良く聞きますが、皆さんはどんな時に使いますか?
私が聞くのはたとえば女に金を払わせるのは男のプライドが傷つくとか、間違っても自分から謝るのはプライドが許さないとか、そんな話ばかりです。
しかし、言わせていただけば、こんなのはプライドとは何の関係もない下らない見栄です。
「貧相な頭脳が頑固な偏見をもって決定すること、それが見栄であり、愚者に必ずつきまとう悪徳でもある」という言葉もあります。
たしかに人間には面子や意地が必要でしょう。
もちろん、男性だけではありません。
女性にもです。
しかし、意地があるのなら最後まで貫かなければ意味がない。
命をかける覚悟がないと。
具体的な例を上げましょう。
かなり前のことですが、橋田信介さんというカメラマンがイラクで殉職したことがあります。
その時、夫人は、訃報を前に毅然とした態度で「夫は覚悟していた。本望だったと思う」と語りました。
橋田氏の行動を批判することはたやすいでしょう。
しかし、氏には覚悟があったのではないでしょうか。
そして、この覚悟はプライドが支えていたのだと思います。
それに対して他人が言うべきことは何もありません。
もう一つ例を上げます。
ある小説家のエッセイに書かれていた医師の話です。
この医師は当初は1年間の予定で人口8000人の村に赴任します。
勿論医者は彼一人。
この村は結核がはびこっており、半分以上が健康保険にも入っていないという劣悪な状況でした。
彼は村人を見捨てることができず、そのまま42年間にわたり住みつづけることになります。
札幌に戻れば安楽な生活が待っているのに、この村に残ることを決めた時、彼は妻と子供達に詫びるんですね。
自分のわがままだと。
普通の人だったら博愛行為だから、我慢しろと言うでしょう。
しかし、彼は人に押し付けることなく、他人にとっては、自分の家族にとってさえも、単なるわがままでしかないと考えて、詫びたのです。
男のプライドは、それが自分のためであるときはうす汚れてしまいます。
それこそ単なる我儘や、見栄でしかないからです。
自己を犠牲にして行うことこそ、真のプライドはないでしょうか。
えらそうなことを言ってどうもすみません。
しつこいようですが、ここでウクライナ問題に戻ると、何度もいっているように、祖国を命をかけて守ることは正にプライドの問題なのです。
それがわからないのはその人自身がプライドを失ってしまっているからでしょう(羽仁虎かも知れませんが)。
では。