クリスチャンとしての歩みVol.3

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 クリスチャンとして成長するにあたり、私のこころの中にあったもの、それは少しでも多くの日本人の人々に福音を伝えることだった。福音とは、英語ではGospel(ゴスペル)、Good Newsともいう。ゴスペルというと、一時日本でもブームを巻き起こした黒人シンガーたちのゴスペルソングと言われてしまいがちだが、実はそうではない。では、なぜGood Newsとも言われているのか。
 私たちが人生を歩む中で、本当に素晴らしいニュースとは何だろうか?出産、結婚、就職内定… どれをとっても家族や友人たちに伝えることは喜ばしいことだ。何故なら人生にとって良いことはお祝い事とも言えるからだ。福音を伝えること、知ることも人生にとって喜ばしいことだ。決して聞いたから損になるわけでもないし、寿命が縮まることでもなく、私たちの人生の中に新たな命を吹き込んでくださる。決して恐ろしいことも全くない。何故、自分はこんなに良いニュースを早いときから知らなかったのだろうか。。。と何度も思わされたこともあった。勿論、日本の教育では、クリスチャンスクールに行かない限り、家族がクリスチャンでもない限り、この福音を教育の過程で教えられることはめったにないからだ。そして、この福音を知らない人々がどれだけ苦労して人生に悩み、さまよって、自殺未遂をしたり、精神病を抱えて生きていかなくてはならないだろうか。だから、神様が私たちの為に、このどん底から抜け出せるように、イエス様を通して一方的にこの素晴らしい福音のギフトを与えてくださっている。それをいつ受け取るのかは、人間の意志であり責任なのだ。
 私がこのギフトを受け取ったのは38歳。日本人が基本的に受け入れるまでは5年から10年以上とも言われている。私は福音を聞いた時から救われるまで3年くらいかかったかと思う。でも、これが私に一番ふさわしい方法とタイミングだったのだ。神様は私たちが何をいつ、どこで必要なのかを御存じなのだ。そしてこの深い愛情にも平和と安心がいつもあるのだ。
 クリスチャンになって、家族に顔を合わせる時が与えられるまで2年の月日が流れた。海外からの一時帰国がクリスチャンになって与えられていた。でもその前に、既に私の両親、姉妹たちは私がクリスチャンになったのは既に知っていた。母には既に個人的に手紙を書いたこともあった。母からは勘当を受けることもあった。しかし、神様の御力は強い。こんなことでなくなってしまうものではない。そこには自分の中に秘められた自信もあったからだ。クリスチャンとして生きることを周辺に伝えることは恥じることではない。日本ではましてや、他宗教に入っているのを隠したりする習性があることもあるが、そんなことは全くない。なぜなら福音は本当に人生の中で生きる愛があるからだ。今では、母を訪れ、普通に話している。福音を信じてください!と。周辺の人達、家族を含めて自分がどれだけ変わったか、明らかに見せられていた。もはや、過去の暗闇にいた自分はなく、光の内に歩んでいる自分がいることを神様は見せてくださっているのだ。
 もう少し突っ込むと、福音とは、この世の奴隷、苦しみ、死、罪、悪からの解放だ。福音を信じればあなたの永遠の命は保証されていることを聖書は語っているのだ。人間はこの世ではいつかは死ぬ。死を避けることができる人は存在しない。だからこそ、福音がある。死んでからでは遅い、暗闇で生きるよりかは光の内に歩めることこそが、本当の人生ではないだろうか。

ローマ人への手紙1:16 私は福音を恥としません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。

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