クリスチャンとしての歩みVol.2

記事
ライフスタイル

 クリスチャンとしての歩みとはいったい何だろう。それは、本来の人間としての生き方に戻ること。それを聖書が細かく語ってくれているのだ。また、自分の足跡ではなく、イエス様の足跡をたどること。
 教会は英語でのサービスで理解しきれないこともあったが、兄弟姉妹たちに支えられていた。皆が私の事を祈ってくれていた。それ以降にも、日本人のクリスチャングループにも導かれ、多くの導きに恵まれた。今まで聞けなかったことも聞く中で理解をしていくことができた。今までの過去の生き方とは正反対に自分らしさを取り戻していった。
 この国で2年目のチャレンジが与えられた。職場の上司はローカルでイスラム教徒のオーナーだった。クリスチャンの人を雇いたいとのことで、ここに導かれた自分がいた。今までとは違う自分をどの様に、イエス様の愛を語るかが課題でもあった。しかし、イスラム教徒の圧力はその時の私には偉大だ。しかし、自分の責任、やるべきことを素直にやりこなしていくことで乗り越えていった。職場の多くのスタッフと知り合い、彼らのいろいろな信仰を学ぶこともできた。不安や辛いこともあったが、イエス様の支えで乗り越えることができた。そのお陰で充実した時間が過ぎていった。しかし、週休1日、ロングドライブ、夜中までの活動は私の体力も奪っていった。それでも精神的に保たれていたのはやはり、兄弟姉妹のサポート、イエス様の支えだった。長距離移動しながら、み言葉の暗唱、クリスチャンソングを聞くことが自分の中で充実感を味わえる時でもあった。この職場での経験は2年を超えていった。いつもエペソ人(6章10-18節)のみ言葉が大きな支えだった。
 それとは同時に、クリスチャンとして歩みつつ成長もしていった。み言葉を味わえば味わうほど喜びに満ち、聖書を理解すればするほど、そこには輝くものがあった。いつもこの喜びを味わうことが自分の心をきれいにしていってくれた。過去に傷ついた心、許せなかった家族、過ちを犯してきた自分の心はいつしか温かい優れた愛の元、もはやそのトラウマもなく、家族も許すことができていた。自分一人ではできなかったことだ。更に、女性の聖書勉強会、ケアライフグループで更に磨かれていったのだ。人間が赤ちゃんとして生まれて成長していく様に、クリスチャンとしての成長にも過程がある。その成長が今でも見守られていることは本当に感謝なことだ。
 この職場を更に続ける意味があるのだろうか?と思っていた時に、ここを去るきっかけが与えられた。なんと!いつも神様は神様のタイミングで動いてくださる。私が体力的に疲れていたのはご存じだったのだ。感謝です!これで、私はこのイスラム国を去るときが来たのだ!と、思いつつ、実は違った。神様のご計画はそんなものではなかった。更に自分を深い経験と導いていくのだ。この国で4年目のチャレンジを与える計画だった。それは、皆で祈り合っていったことに導かれるために。そして、更に5年の月日がたっていくのだ。

使徒の働き
20:32 今私は、あなたがたを神とその恵みのみことばにゆだねます。みことばは、あなたがたを成長させ、聖なるものとされたすべての人々とともに、あなたがたに御国を受け継がせることができるのです。


サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す