クリスチャンとしての歩みVol.1

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 クリスチャンとして生まれ変わった私は、これからの人生に希望に満ちていた。生まれ変わった自分の中にキラキラ輝くものがあった。過去の辛いこと、悩んでいたこと、背負っていた重荷をイエス様が全て取り除いてくださった。この身軽さは言葉に言い表せられないくらい、不思議と喜びと希望に満ち溢れていた。
 生まれたばかりの赤子が危険な場所に飛び込んでいく様と思われるリスクも周りからは心配されたが、自分自身それに対する恐れはなかった。イスラム国に平然と飛び込んでいった。イエス様の救いの偉大さを思うと何も恐れは感じなかった。この救いがなかったら、この世にはいなかった私だ。そして、クリスチャンとしての新たな旅がこのイスラム国で始まった。
 まずは、教会を探すことが一番だった。教会を見つけてクリスチャンの人々に会うことを探し求めた。新たな職場のフィリピン人の同僚が彼女の教会に連れて行ってくれた。そこでの新たな兄弟姉妹との出会いを通して導かれていった。聖書もまだろくに読めなかったが、教会には行き続けた。クリスチャンとしての生き方を多くの人々を通して学んでいった。そこには、人との励まし、助け合いの愛で満ち溢れていた。そして、人間同士の傷つけ合い、人々への差別というものは、全くなかった。光がそこに照らし続けていた。ただ、英語であったため日本人のクリスチャンに会ってみたい!とも考えていた。
 ある時、職場のクリスチャンである上司に、自分の教会に日本人の女性がいるから紹介すると嬉しいお話が!会ってみたい!すぐにその女性と会うことができた。私よりは年下、この国で長く働かれている姉妹。現在でもつながることができていることに感謝。この姉妹を通して、彼女の教会に導かれた。もう一人の日本人女性に会うことができた。私の聖書の知識無さに時間を割き、学びを与えられていった。しかも日本語で学べるこの恵みは私にとって大きかった。(その思いから、現在では自分が教えていくことにも。)
 聖書のみ言葉って、こんなに奥義が!目から鱗はまさにこの事だった。その連続!聞かなければ開かれない、耳を澄ませばすます程、み言葉を通しての神様の語りは私が知らなかった世界を紐解いていく。自分が知らなかった世界、それは普通に小学校、中学校、高校、大学に行っても一般的には教えれない教え。でも、全ての教えがこの聖書からきていることは明らかだった。
 だったら、もっと早くに救われていればあんなに苦労した人生を送ることはなかった。。。と思わされることもあったが、この時が神様の私への時だったんだと。それでいい。今、こうして生かされていることが喜びで、今までになかった平安があるのだから。神様の恵みによって、私の心も変えられていった。イライラ、怒りっぽかった私が自制心を保てるように変わっていった。人を思いやる余裕も与えられていった。人間として生きる本当の意味はここにあるんだって。
 この国での1年目のチャレンジは、他宗教も知ることだったのだと思う。イスラム教、ヒンズー教、他を同時に知れたからこそ、キリスト教の恵みが新たに知らされた。人は何かを信じていなくては生きられない、それが宗教ではなくても必ず別のものがある。そして、キリスト教だけが他宗教と違って全く別のものであること。それは、福音。英語ではGood Newsという。何故、Good Newsなのか。それを次回お知らせすることができたらと思う。

マタイの福音書
7:7 求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。

次回へ続く。
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