アスリートファースト

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今流行りのアスリートファーストは定義がわからず、色々な言い訳に使われているだけで本来、何を実現するべきかが理解できません。2020東京大会の前に開催反対活動が盛んに行われましたが、注目された日本の参加選手たちは、ほとんど自分の意見を述べる取り組みはしませんでした。

五輪選手は大会に参加しパフォーマンスで示すことが求められますが、存在が大きくなり、収入も大きくなると社会的責任も大きくなります。そうなればパフォーマンス以上のものを求められるのは同然ではないでしょうか。

いまだにアスリートが恵まれない環境に置かれている競技も存在しますし、日本スポーツ界は指導者の資格はありますが、運営者や事務職員など、大きな影響力を持つ人々に対する学習機会と資格を提供していません。

要するに先人が「エライ」ので言うことを聞かなければならない、という不思議な慣習がいまだに残ります。そこを一掃できない社会構造的な歪みが2020東京大会でも散見されました。

もう一度、アスリートファーストを見直し、本来のアスリートファーストとはなんなのか?パフォーマンスでお金を稼ぐのはアスリートとしての一面でしかありません。社会的な責任を果たすことが、ますます求められます。

明確な表現を思いつきませんが、パフォーマンス以上を求める人が多くなっているのは強く感じています。五輪前の開催反対に対し、政治家もJOCも東京都も人々を納得させるコメントを出すことができず、人々はアスリートに助けを求めました。これは、人々の悲鳴のようにも思え、五輪は応援したいが、誰も納得できるコメントを出してくれない苛立ちにも思えました。

自分たちの舞台を守るためにアスリートが全面に立ってコメントし、観衆を掌握する時代が目の前に迫っていると感じました。アスリートは、今まで以上の能力を身につけ自分たちを守らなければなりません。誰も守ってくれないと考え、自己防衛をすると共に競技を守る体制ができた時、本当のアスリートファーストが見えてくるのではないかと期待しています。




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