体、心、不調和における一つの考え方と今後の展望

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前回ご紹介したブログの文中で、気になった表現、「クリニック」という言葉について、少し別の角度から、お話しさせていただきます。そして、体や心の不調についての考え方について、1個人としての考え方や思いを今回シェアさせていただきたいと思います。

もし興味がありましたら読んでください。


*クリニックという言葉は、アメリカやヨーロッパでは、意外と当たり前に、使われています。
私たちが日本で受ける医療行為とは違います。そして、かかりつけ医のような医療行為、治療・診断、投薬処方はしません。

日本では、クリニックを開業していると言うと、医療行為だと思う人が多くいることと思います。

一方世界のどこかでは、各種リハビリ、代替・自然療・催眠療法、手あて・レイキやその他のマグネティック・スピリチュアルなどのエネルギー療法において、クリニック=個人開業という意味合いで使われています。

世界では、日本と違う考え方、価値観がたくさんあります。医療体制ひとつとっても様々、それらを知ろうとする程、学ぶべき事がいっぱいです。

現代医療は、日進月歩進化しています。これまで最善とされてきたことが、そうではなくなることがあります。(薬剤も準じます。)

個人の体の不調や不具合について、どこから病気として扱うのか違います。そこに本人の意思(意識)がどの程度、どんなふうに関与できるのか、癒してと受け手の影響比率は?等、細かく分けて追求したら?
丁寧に原因を突き止めようとしたら時間がいくらあってもキリがありません。

そして、不調を訴える人にどこまで寄り添えるか?また不調を訴える側は、どこまで自分に対して協力的か?等、治療方法やその考え方自体が違ってくることでしょう。

ここまで書いたことは下地です。その下に、根の如く広がる根底があれば、そこへのアプローチ、治癒までの方法、さらに経過が長引くほど、ゴール地点までの考え方が変わります。

国ごとのルール・法律・倫理もそれぞれ違っています。また、変化します。

ここに書いたことを何も知らなくても、現代なら、情報で知る事が可能でしょう。

ただし、医療のことなら、医療の知識一つ取っても、段階やステップがあります。

これらは、格差を生み出す原因です。情報格差は、引き出す情報の内容に対して、その信憑性を曖昧にしやすく、混乱を招く原因です。

こういった前知識に触れる機会、知識自体がある・ないでも、その人の捉え方による意識が変わります。よって、引き出す情報力が変わります。

ここで整理します。ここまで書いたことは、他人任せ(の考え方)です。

クリニックという言葉は、単なる一つの例えに過ぎなくて、実は、(病気なら)個人の意識の高さ、自己責任について意識の仕方(意識の持ち方や覚悟)が違う、ということについて、お伝えしたかったのです。

実際イギリス(ヨーロッパ各地)では、ハリーエドワーズ氏が基になった伝統的な手当て療法がかなり前から存在しています。

スピリチュアルヒーリング(正しくは霊的治療)として現存し、病気を克服した人が存在します。

イギリスでは治療の一環としてのスピリチュアルヒーリングや、セラピーは保険適応されます。

このことを知っている人と、知らない人がいて、ギリスに住んでいる人は知っている人の割合が多い、一方、例えば、アジア地域では知られていない、もしくは、通用しないことかもしれません。

一方で、日本の倫理観、現代医療の観点と比較するなら、そんなものは信じられない、と思っても無理はないでしょう。

あるいは、まやかし、のように思う人もいるかもしれません。疑いが心に残るものの、いちいち知るのは面倒だと判断したり、それは、何かの宗教かね?と一言で片付け、流してしまうかもしれません。もし私が世界に出て学んでいなければ、言っていたセリフだと思います。

しかし、めにみえない領域を受け入れて治癒のサポートとして取り入れる考え方や、価値観、そういった世界があるのが事実です。

それだけ、人の不調(病気)には多種多様性があり、その根底には、個人の生前(家系要因)そして、後天的に得た様々な環境要因などが複雑に絡んでいる。さらに、目に見える部分とそうでない見えない部分も絡んでいる。


そこで、人任せきりの治療や、誰かに頼り切ったまま自分の不調を調和へと導くことには、限界があり、それは今後ますます通用しなくなってくるであろうと個人的に思う。

ということをお伝えしたかったのです。その上で、個人個人が意識して自分の不調と向き合っていく必要性、そして、調和するためのオーダーメイド的治療やそのための治療材料が必要なのではないかと考えております

それは、心の痛みや、精神的な苦痛にも言えることだと感じております。

それでも、私は痛感しています。現代医療、最新医療、西洋・東洋医療、代替医療、統合医療、科学的アプローチ、伝統的アプローチ、その他、現存する医療行為または、そこに準ずる健康に関与したすべては、貴重な財産です。また、何をどのぐらい選ぶかは、その人にとって完全に自由です。ということを理解しています。

つまり、何が正しくて、何が間違っているかではなく、なりたい自分が最優先して、自らの意思で行動する、その結果、自分の心が自由を感じ、肉体が軽快、治癒の方向へ進んでいる実感を伴うのです。

その間、ずっと集中しているのではなく、時に楽観性を持って、でも決して諦めず、できることをコツコツと積み重ね、自分の体もしくは心を育むたゆまぬ努力を続けている。

その部分を無視してはいけない、とお伝えしたかったのです。
これは、いろいろなものを見聞きしたり、実際に体験しての私の意見です。

そこを踏まえて、体のどこかに、不調和がある時には、自分で気づくこと、そして時に、助けてもらうことも必要、それでも、自分の体の責任は自分でしか取れない。と知って、心得ておく姿勢が求められると感じています。

だからこそ、自分の体について多方面から知っていこう。という意識と意欲にシフトする必要性を感じています。

結果、病気(おそらく大病)をご経験されて、生き方そのものが変わってしまった。とおっしゃる方が世の中にいらっしゃいます。私もその一人です。

若い人たちには特に、ますます、今後、めにみえないアプローチが普及し、取り入れられていくかもしれません。しかし、みえないものだけを追求することや、依存することが善いとは限りません。

老いは精神的成長の機会であって、人間らしさを感じられる唯一の機会です。

そして、心や精神が宿る、(もしかしたら魂も宿っているかもしれない)肉体を慈しむことができるのは、あなただけなのです。

反対に、傷つけることができるのもあなただけなのです。


だとしたら、あなたは、正しさを選びますか?それとも、あなたの体と心を慈しますか?シフトをしますか?

私は、ハワイのカフや光の教会のみなさん、そして、アメリカのリーキャロル他、スティーブローザー、ルイーズヘイ、コレットバロン、ドリーンバーチュー、エドガーKC、マスターバイワマス財団、ハリーエドワーズの残したヒーリングサンクチュアリー、船井幸雄氏、日本のスピリチュアルヒーラーグループ等の方々にお世話になったことがあります。彼ら自身や、彼らの仕事に賛同、志を共にする仲間と協力し合い、常に楽観性を忘れず、また、時に自身の危険を顧みず、たゆまゆ努力によって、各人なりに、世界貢献、あるいは、未来へ繋ぐ架け橋となって生きた証を残された方々と、ご縁あって、これまで触れ合ったり、学んだり、ヒーリングされ私自身、癒やされてきた経験者です。

かつて私自身、家族の癌により、諸所の看病に耐えられなくなったり、医療の研究勉強を続けられなくなったりと苦悩した経緯がありました。そして健康体だと慢心した私自身、原因不明の不調により体と心を病んで自ら足枷をして生きてきた時期がありました。

だからこそ、広く高い視点があることや、未知なるものを受け入れる新しい可能性について、知ってほしいのです。

そして、海外からの文献や、書籍一般の翻訳本では、日本人の広い世代に対応できないのではないか、という点を、私自身、長年、英文と日本語訳の双方を読み比べて勉強し感じてきました。

私のご紹介する海外翻訳文章は、これまでの言語(英語)の翻訳の正確さにこだわった翻訳ではなく、可能な限り、みえない部分を尊重することを心に留めながら、特に、スピリチュアル知識は、生活に活かせる形の言葉に変えて、わかりやすい日本語を優先して、お伝えしております。いつでも、その気持ちでいっぱいです。

そして、知っていただきたいことがもう一つあります。

何かの理由で体や心が不調を訴えることは、人生の中で何度も、誰もが経験することです。

それは、悪い事ではありません。ただ、痛みや苦痛があるなら、苦しいことでしょう。早くそこから抜けたい気持ちでいっぱいになることもあるでしょう。

どんなに健康な人であっても、多少なり、体調の不調を感じることや、体の変化を意識します。

それは、体の表面的、あるいは、部分として生きている訳ではないからです。
また前回のブログでご紹介した、シグネーチャーセルヒーリングにおいて、体には、肉の体、感じる体、考える体、そして魂の、それぞれパーツから一つの体ととして成り立つことを話しています。

それを生体が発するエネルギーとして、捉えたものが体の体表面を覆っているみえない光の膜、オーラです。

そして、私たち人は、老います、老いるということは、言葉を変えると成長です。成長には変化が伴います。ですから、心身を一定に保つことは無理に等しいのです。

歳を重ねること、世界情勢等、外的環境要因が複雑に絡まると著しく変化します。周辺環境の変化速度や、想定外の事象といった時代背景を考えた現代、誰もが、心身の状態が崩れる可能性が考えられます。

その時、もしも体や心のどこかで不調を感じたとしても、その自分を、努力が足りない、不摂生がたたったからだと責められたから、と、責めないでください。病気になった自分に罪悪感は不要です。

その代わりに、まず気づくことがあります。

それは、何かがどこかの時点で、間違っていたから、かもしれない。といいこと。そしてその時点では、気づきもしないほどの微細なものだっかもしれないということ。さらに、微細な変化に気づかずにいて、繰り返して、間違ったままを積み重ねてしまった、だから、そうなっているのかもしれないと。

そして、その、どこかの時点で間違えたかもしれない、流れを意識してください。

自分の体に注意を向け、自分の心身に関心を持ってあげてください。

不調に意識を向けるのではなく、どうなりたいかに常に意識を向ける練習を始めてください。それは、今すぐできる、自分の健康を取り戻す微細な微細な本当に微細な細胞レベルの第一歩です。

そして、元気になる。そう決めて、諦めないでいてください。どんなに苦しくて、誰にも助けてもらえなくて、生きる気力を失いかけて、落ち込んでいたとしても、あなたの魂は、あなたに生きる勇気を与え続けていて、そのことにあなた自身が気づかないだけかもしれない。と・・・気づいてください。

そして、あなたが人として生きた分の長さだけ、無視してきてしまった魂の存在を開こうとしても、すぐに心を開いてくれないかもしれないということを忘れないでいてください。

愛や光、そして、人のぬくもりや暖かさがほしいと思うのなら、まずは、あなたが、あなたの体のケアについて、今すぐできる範囲から始めて、自分自身を温めてあげてください。

そして、その時、どんな感じがしたか、見逃さずにいてください。

たとえ、みんなが思う健康や、理想とするような健康の姿をあなたの体が取り戻せなかったとしても、うらやんだり、ねたまないでいてください。

文句を言うことは簡単です。でも忘れないでください。

あなたには必ず学ぶべきことがあって、それを乗り越えるために、ここに存在しています。あなたの体と、エゴは別です。あなたの一部が、例え、ネガティブを選択しても、あなた自身はいつでもそこから抜けられるのです。

それを許せないのはなぜか?自分の最も高い意識に問いかけてみてください。
あなたには、それができるはずです。

魂の観点を忘れないでください。遠く離れていても、私があなたのことを知らなくても、会う事がなくても、ここから応援しています。


 You believe in information only when it tells good news.

ご縁のある方は、私やハワイのカフフレッドスターリングと直接会ってみていただきたい。ですね。

長くなりました。最後までお読みいただき誠にありがとうございます。




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