白いパラソル(ななせの本棚⑥)

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●こんにちは!ショートショート/短編小説専門作家の瀬名那奈世です。
このブログでは3日に一本のペースで(なるべく頑張ります…)短編小説を投稿していきたいと思います。生活のちょっとした楽しみに、ご依頼の際の参考に、ぜひお役立てください。(※無断転載等は禁止です!※カクヨム等で投稿した作品も含みます)

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No.6 白いパラソル

「あ」
「あら」

 充が声をあげると同時にその人影は振り向いた。よく手入れされた黒髪をなびかせた彼女はふわりと口元を緩ませて、花柄のワンピースの裾をひらひらさせながら近寄ってくる。充は眉根を寄せてその赤い唇を見上げた。

「背縮んだ?」
「華、お前今ヒール履いてるだろ。ただでさえでかいのに……何、仕事?」
「里帰りよ里帰り。今年もお盆は帰れそうにないから」

 華は額に張り付いた前髪を右手の人差し指ではがしつつ恨めしそうに太陽を睨みつける。

「ちょっと休みましょ」
「おい、待っ」

 つかつかと遠ざかっていく背中を見てため息をついた充は仕方なくその後を追う。お昼時で適度ににぎわうカフェに入った。開け放たれたガラス製の扉からテラスに出て、隅の席で手招きをする華のもとに歩いていく。

「日焼け止め忘れちゃったの」

 抗議しようと口を開いた充をどこか楽しげな声がさえぎった。華は注文をとりに来た店員にハーブティーを注文し、こちらに視線を向ける。充は黙って首を左右に振った。

「何か頼めばいいじゃない」
「気分じゃない」
「あらそう? じゃあ、以上で」

 お辞儀をして店員が離れていく。華はしばらくそれを見つめていたかと思うと、おもむろにこちらを振り向いて目を細めた。

「……本?」
「ああ、うん」

 視線は充の手元の袋にそそがれている。充はずしりと重いそれを渡した。華は呆れと感心の混ざった手つきで中身を出しテーブルの上に積み上げ始める。

「よくもまあこんなに……って何これ」
「テキストだけど」
「ロシア語なんか覚えてどうするのよ」
「読もうと思って。ドストエフスキー」

 華は絶句して充を見つめた。

     *

「華、返して」

 置かれたカップの中で波打つ液体を気にかけて充が本の回収を求める。華が本の山をそのまま押し返すと満足そうに微笑み、一番上にあった鮮やかな表紙の本を開いた。華も丁寧にページをめくる細い指をハーブティーを飲みながら眺める。紙の擦れる音がやけに大きい。食器同士がぶつかる音や誰かの控えめな笑い声、いくつもの足音、普段は気にも留めない振動が鼓膜に触れる。周囲の喧騒と蒸し暑い空気の中で、充のいる場所だけが小舟のように遠ざかっていくようだった。

「……パラソルは」

 風の音をすり抜けて届いた声に顔を上げる。

「小舟みたいだよね」
「どうしたのよ、突然」
「別に。華が暇そうだったから」

 充はそう言って再び本に目を落とす。華は消化不良な気持ちを抱えながら周囲を見回した。テラスには沢山のパラソルが設置されているが、小舟よりも孤島の方がふさわしく思えた。

「もう行った?」
「…………」
「お墓参り。おじさんの」

 充の左手首を見る。充が肌身離さず身に着けているこの茶色い腕時計が彼の父親の形見であること、更にそれが彼のずっと昔に亡くなった母親の持ち物であったことを知るのは、従姉である華だけだった。

「午前中に行ってきた。それで帰りに……あ、そうだ」

 充はページをめくる手を止め、本の山から少し薄めのものを引き抜いた。

「あげる。松葉高校で買ったんだけど、俺はもう読んじゃったから」

 渡された本の背表紙を見る。顔を上げて視線で問いかけると、充は珍しく声をあげて笑った。

「今日が文化祭らしいよ。知らなかった? 帰りにでも寄ればいいよ」
「帰りって……」
「父さんの墓参り。毎年行ってくれてるんだろ――わざわざお盆に仕事つめてまでしてさ」

 それは強い拒絶を含んだセリフだった。お前は関係ないと突き放す言葉だった。心外だとばかりに華の顔が歪むと、充は困ったように微笑んで「ごめん」と呟き、本をまとめて席を立ってしまった。

 一人取り残された華はしばらく固まり、それからふと我に帰って渡された本をぱらぱらと開く。文芸部の部誌だ。目次の中に『白いパラソル』というタイトルを見つけて、先ほどの充の言葉がこの作品の受け売りであることを悟った。すっかりぬるくなったハーブティーを一気に飲み干して立ち上がる。会計を済ませて店の外に出た。暑い。名残惜しく背後のパラソルを振り返る。

 まばゆい白が目に焼き付いた。
 かげろうの中で揺らめく姿は、波間を漂うくらげにも見えた。

 手を離せば簡単に岸を去ってしまいそうなたたずまいにやはり小舟の方がふさわしいかと思い直す。ぽつんと一艘遠ざかるそれには何かとても大事なものが乗っているような気がした。それが小さく見えなくなっていくことがなぜだかとても寂しく思えた。

 その点、白いパラソルはあの従弟にとてもよく似ていた。

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