ないものねだり(ななせの本棚②)

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●こんにちは!ショートショート/短編小説専門作家の瀬名那奈世です。
このブログでは3日に一本のペースで短編小説を投稿していきたいと思います。生活のちょっとした楽しみに、ご依頼の際の参考に、ぜひお役立てください。(※無断転載等は禁止です!※カクヨム等で投稿した作品も含みます)

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No.2 ないものねだり

 金魚が好きだ。
 透明な水の中で踊る鮮やかな尾ひれが特に好き。

「すくわないの?」

 祭りの屋台で金魚を眺めていると、突然耳元で声が聞こえた。
 恐る恐る振り返ると、涼しげな目元の美人がこちらを覗き込んでいた。

「おおー、ユカさん。相変わらず美しいねえ。どうだい? すくってく?」

 金魚すくいのおじさんが嬉しそうに美女に挨拶した。美女は『ユカさん』というらしい。

「私は遠慮する。それよりこの子、ずっとここにいるの?」
「そうそう。かれこれ十分くらい熱心に見つめてくれてるんだが、どうだい嬢ちゃん、すくってく?」

 金魚すくいのおじさんがこちらを見た。釣られるようにユカさんもこちらを見た。四つの瞳に見つめられて、私は首のあたりが熱くなった。

「私のアパート、ペット禁止で……。ご迷惑おかけしてすみません。帰ります」

「待って!」

 立ち上がった私の手をユカさんが掴んだ。

「あなた、今日ひとり?」
「え? そうですけど」
「私と一緒に来てちょうだい」

 ユカさんはにっこり笑うと、私の手を掴んだままスタスタと歩き出してしまった。助けを求めて金魚すくいのおじさんを振り返ると、くすくすと笑いながら手を振られてしまった。

     *

 狭い道幅を埋め尽くすような人混みの中を、ユカさんは器用に進んでいく。置いていかれないように必死に足を動かしていると、いつの間にか神社の境内にたどり着いていた。

 さっきまでと打って変わって、人影も全く見えない。ユカさんはやっと私の手を離して、持っていたキャンパス地のトートバッグをゴソゴソといじり始めた。
 私はなんだか怖くなって、この辺りで一番幹の太い木の陰にそっと隠れた。

「私、ユカって言うんだけど、あなたのお名前は?」

 私の警戒心など気にも留めず、ユカさんが話しかけてくる。私が自分の名前を伝えると、ユカさんは「すてきな名前」と言って上品に笑った。

 私は木陰からユカさんを観察した。美しい黒髪は器用に結って赤いかんざしで留められている。同じく赤い浴衣には、オレンジと金で流れるような水の模様。黄色い帯、白いレースの手袋、赤いリップの口元に小さな黒子がひとつ。

 華やかで美しい女性だ。
 ジーパンにすっぴんの自分が恥ずかしくなった。

「よし! 準備オッケー」

 唐突に声をあげたユカさんの手には、スケッチブックと鉛筆が握られていた。

「ちょっとそこにしゃがんでみてくれる? 絵のモデルになってほしいの」

     *

「ユ、ユカさん……もういいですか? 脚が、」
「うーん、もうちょっと、あとちょーっとだけ我慢してちょうだい」

 かれこれ十五分、ユカさんはしゃがんだ私の周りをうろうろしている。初めはじっと見つめられるのが恥ずかしかったが、五分を超えたあたりから脚が痺れ出してどうでもよくなった。

「はい、おしまい。ありがとね」

 やっと解放された。よろめきながら立ち上がる私の目の前で、ユカさんは再び何かを描き始めた。しばらく鉛筆を動かしたかと思うと、今度はパレットと筆を取り出して色をつけている。

「何描いてるんですか?」
「これ? これはね、あなたのほしいもの」
「私の?」
「そう」

 私、ほしいものなんてあったっけ?

 心当たりを探して思考を巡らせていると、目の前に一枚の紙が差し出された。
 そこには一匹の、美しい金魚が描かれていた。

「モデルのお礼。ほしかったんでしょ、金魚」

 赤とオレンジのグラデーション、流れるような尾ひれ、所々に散りばめられた金色の飛沫……その全てが美しくて、私は言葉が出なかった。

「絵ってすてきでしょ。どんなものでも手に入るんだから」
 ユカさんは楽しそうに言って、私の手に金魚を握らせてくれた。

     *

 あれから一年。
 今年も祭りの日がやってきた。

 ペット禁止の私の部屋には沢山の絵が飾られている。あれ以来、私は自分でも絵を描くようになった。なんの制限もない絵の世界はとても楽しくて、筆を走らせるたび、心がふわっと軽くなった。

「行ってきます」

 ユカさんに描いてもらった金魚は玄関に飾ってある。いつ見ても美しい金魚に挨拶をして扉を開けると、夏の夕方の生ぬるい風が、スカートの裾を撫でていった。

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