でき太くん三澤のひとりごと 投稿 その27

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投稿 その27

今回は私がいつも考えていることをちょっと呟いてみようかと思います。

これは私だけではなく、きっと多くの方も感じていることかもしれませんが、「ネガティヴなことのほうが現実味がある」ように感じませんか。


たとえば、「A」という名前の病気にかかったとき。

「このまま悪化して、入院とか手術になったりしないかな」というネガティヴなイメージと、「これ以上は悪化もせず、きっと快方に向かいはず。きっと大丈夫だ」というポジティブなイメージがあるとき、どちらかと言うと、ネガティヴなほうが現実味があるといいますか、そっちの方が現実になっていくような、本当のことのように感じてしまうことです。


これは、子育てにおいてもあると思います。

子どもがなかなか自分の言うことを聞かず、反抗的なとき。

「このままこの子はひねくれてしまって、友達や先生からも見放されてしまうような子になるのではないか」というネガティヴなイメージと、「この子ならだいじょうぶ。今は分かり合えないことがあっても、必ずいつかわかるときがくるからだいじょうぶ!」というポジティブなイメージがあるとき、どちらかというとネガティヴなほうが現実になっていくような感覚ってありませんか。


子どもの通知表の成績がよくないとき。

「このままで本当にだいじょうぶかしら。このまま成績が下がり続けたらどうしよう」というネガティヴなイメージと、「この子ならきっとだいじょうぶ。必ず成績は上がっていく。まずはでき太の先生に今後のことを相談して対策を考えよう」というポジティブなイメージがあるとき、ネガティヴなほうが現実になっていく感覚ってありませんでしょうか。


私はそういう感覚が強くあったほうで、ネガティヴなほうがたいてい現実になり、それが世の中というもの、それが人間というものだと思っておりました。

でも、イメージするのは自由です。
現実になる前、どのようなイメージをするかは、私自身にゆだねられています。

ずーーとネガティヴなことばかりイメージしているから、ネガティヴなことが「現実味がある」と感じているだけで、実はずっとポジティブなら、現実はポジティブなものになっていくように思います。

同じイメージを持つのであれば、自分の気持ちがラクになるイメージ、自分がもっと前向きになれるようなイメージをずっと描いていたほうがよいですよね。


でも、それがなかなかできない。。。


「できない」ということを自覚しているということは、それだけ自分がネガティヴなイメージを持っているということを実感できているということです。

これは私からすると、かなりすごいことだと思います。
社会には、その点については無自覚で、なんか気持ちが落ち込んで、前向きにもなれず、毎日が楽しくないという方もいるのですから。

「それができない。。。」というのも、ちょっとネガティヴなので、もしそれをボジティブにするなら、「ま、今はできていなくてもいいじゃない。必ずできるようになるし。ネガティヴなことを思ったら、まずはそれをポジティブに変えて、自分を楽しくしようっと!」とイメージするとよいかもしれません。

でも、ネガティヴなことをポジティブに変えようとすること自体に無理があるような。。。

いつか見たインド映画のセリフみたいに、ネガティヴとかポジティブとか囚われないで、「きっと、うまくいく」と自分に言い続けるのが一番いいのかな。
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