悟りを開く、得る・・・聖者の唾液、奇跡の冷蔵庫・・・

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私が悟りを得た経緯

 悟りを得たからと言って、別段なにも偉くはないのです。・・・

 偉いとしたら、・・私が偉いと思っているのなら、・・・恥ずかしくて「私は悟りを得ました」などという事はとても言えません。

 しかしながら、悟りを得たい人や、興味がある人は大勢いるでしょうから、多少の参考にでもなればと、話したいと思います。


 今から7~8年前、私が48歳のころです、「ああ、そろそろ50か・・人間一生50年・・・」と、織田信長の言葉を思いながら「何かやり残したこと・・無念だったこと・・・」と思いふけっていると 以前、友人の親が癌で入院した際に「この本を読めば必ず治るから」と言って新品の本を数冊届けましたが、数か月後、亡くなったという知らせと共に未開封のその本が帰って来ました・・・そんなことが2~3度あったなぁ・・と思い出していた。

 その本とは私の母が信仰している「生長の家」という宗教の本なのですが内容は哲学書です。

 始まりは昭和5年に創刊された「生命の実相」という哲学雑誌であるが「この本を読むと不思議とあらゆる病気が治る」と評判になり、いつしか周りの人達によって無理やり宗教団体にされ著者は教祖に祭り上げられた。

 私は「この宗教は本物だ」と確信していた、しかし信者という訳ではなかったが、お蔭で病気知らずではあった。

 「この様な素晴らしい本でも読んでもらえなければどうしようもない」と絶望感と無念を感じていると、ふとそれらの本の内容を思い出した・・・「聖書に書いてあることもイエスのことも、本当に100%信じることが出来たなら、イエスと同じ奇跡を起こせるのだ、バチカンの教皇達がその奇跡を起こせないのなら100%信じていないという証拠である」・・・

 その時ひらめいた「そうか本を読んでもらえないなら私自身がイエスに成って奇跡を起こせば良いのか」と・・・それから悟りを得ようと100日かけて「生命の実相」全40巻を読破し、釈迦もイエスも「悟りに苦行は必要無い」と言っているが「イエスも通った道だ」と思い40日間の断食を決行した。

 しかし、期待していた悪魔も出ては来なかったし、もちろん悟った感も無い、・・・最後の手段と思い聖経である「甘露の法雨」の千巻読誦を始めた、・・1回読むのに約20分強かかるお経を1000回読むのだ。

 完読に34日かかったが、300回を超えたあたりから大悟りが来始めた、・・最終的に7~800回ほどで完全な悟りを得た感じはあったがケジメとして1000回を成し遂げた。

 決定的だったのは500回頃の悟りで「そうだったのだ、この世界には敵なる物は存在しないのだ、悪魔もいなければ悪霊も無い、悪玉菌も無いし腹にO-157が居ても問題ない、敵では無いのだから毒素は出さないのだ、本来小さな神々であるところの微生物を敵視して歯を磨き始めた人間の愚かな知恵がミュータンス菌に虫歯を作らせていたのだ。

 と100%確信すると手を合わせ「口の中の小さな神々の皆さん、いつも口の中を健康に保ち、食べかすを掃除して下さりありがとうございます」と口内細菌に感謝をしました。

 すると驚いたことに歯を磨いても血が出ることも無く、歯間ブラシにもカスが一切付かなくなったのです。

 こんな不思議なことがありますか?・・微生物に日本語が解ると思いますか?・・どう考えても「この世界が幻である」という証拠じゃないですか、・・・「色即是空、空即是色」この世界は本来無であり、全ては自分の心が創り出す・・・釈迦の言っていた通りだったと確信するでしょう。

 ですから私は調子に乗り冷蔵庫に祝福をしました・・「冷蔵庫さん、いつも沢山の食材を新鮮に保って下さりありがとうございます、お陰様で食材が大変長持ちいたします」と祈ったのです、するとそれまでは豆腐などは1週間もすると水が黄色くなって駄目になっていたのが、祈ったとたん1カ月でも2カ月でも平気でもつようになったのです。・・・本当の話ですよ。

 なので私はこの世界が完全に自分の思った通りになると知ったのです、・・悟ったのです。

 ちなみに、この話を聞いていた友人が「うちの冷蔵庫も祝福して」と言うので「いいけど100%信じてないと駄目だよ」と言うと「勿論100%信じてるよ」と言ったので同じように祝福をさせて頂きました。・・・

 それから何年かして、その友人と呑んでいる時、そんな出来事はスッカリ忘れていたので、つい同じ話をしてしまいました、・・すると「うちの冷蔵庫もそう、同じだよ」と言うので「えっ、まじで?・・凄いじゃん」と言うと「何言ってんの、貴方が祈ってくれたからでしょ」と言われ、やっと思い出しました。・・・


聖書の奇跡

 イエスと弟子たちが歩いていると、目の無い少年に出会いました。

 「イエス様、この少年は生まれつき目がありませんでした、これはこの子の前世の罪ですか、それとも親の罪ですか?」と質問すると「この子の罪にあらず、親の罪にもあらず、ただ、神の栄を現さんがためなり」と答えられた。

 そしてイエスは足元に唾を吐き、しゃがみ込んで指で泥をこね、その少年の目の部分に、その泥をたっぷりと塗りたくると「その泉で目を洗いなさい」と言われた。・・少年が言われた通り泉で洗うと目が出来ていて見えるのです。

 「神の栄を現す・・・」とは、今この時、弟子たちに奇跡を見せるために、この少年の目が無かったと言っているのです。・・・

 ですが、私がこの話を書いた訳は、そこではありません。

 何故イエスが唾で泥を作ったのか?・・ということです。

 すぐ側に奇麗な泉が有るのに、わざわざ唾液でって・・・もう、お解りですね、聖者の唾液(細菌)は「生命の源」なのです、「小さな神々」なのです。

 あなたも「小さな神々」に感謝したくなって来たでしょう?・・・


 私の体験があなたの為になることを信じております。

 ありがとうございます。
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