ペンは剣よりも強し!勇気ある車騎星女・江川紹子の巻

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Practical Psychology
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愛すべき、正直者・車騎星女性を語るシリーズ第2回です。
 ちょっと今回は、深掘りして、実学算命学の技法の見方なんかも複雑に色々入っていて、他の流派との混乱を生むかもしれないので、有料フィルターかけさしてもらいますね。
 ◆

1995年3月20日のことでした。
 地下鉄丸ノ内線で、多数の死傷者がでている、というテレビの報道を、私はアメリカのヴァージニア州の家から見ていました。
 この日、日本は安全な国であると、それまで誰もが信じて疑わなかった法治国家日本が、実はそうではないのだと気付かされ、日本国民全体が意識の転換を図られたといってもいい。無差別殺傷事件の時代のはじまりでした。

 その後、その犯人が、オウムという宗教団体が引き起こしたテロであり、撒かれたのが戦争兵器として使われる神経毒ガス・サリンであることが判明します。そしてこの事件は、その日を境に「オウム地下鉄サリン事件」として、日本人の安全感・日本の宗教観にさまざまな形で影響し、波及しました。

 この連日の報道で、テレビに毎日のように出ていたのが、このオウム事件を追い続けた女性ジャーナリスト・江川紹子さんです。
 私の記憶の中に残る、江川さんの印象というのは、バブル前後のうかれとんちきのこの当時、明らかにこのきらびやかなテレビの世界から浮いているひとだというものでした。お茶の間の目線を計算しておしゃれに気遣いし、自分をよく見せるためのコメントに一生懸命のゲスト・タレントたちや、他の売名ジャーナリスト・コメンテーターにかこまれながら、まったく対照的に、江川さんといえば、それらを気にもとめないかのように、普段の仕事着のスーツに、セットもなく夜勤明けまんまの髪型、そっけない化粧で、手加減・遠慮なしのストレートな受け答え。
その仕事熱心な姿勢は、菊池寛賞をもらい有名になったあとも変わらず、いまだに世間に媚びは売りません。当時、まだまだ男社会の報道の世界。紅一点のように、一躍有名になったとしても、彼女はそれで甘い汁を吸おうなどとはみじんもかんがえず、そのあとも仕事に打ち込みつづけてきたのですよね。

 遠慮なしの批判を込めて発言する彼女は、当時、世間的には猛烈な女であり、「あれにやられたら、きついな」と世のおじさんたちが、お茶の間で苦笑する、可愛げのない女にみえたのでした。


しかし、彼女が、より純粋に発揮される車騎星女であることがわかると、どれほど彼女がまっすぐな気持ちで目的に向かっていたのか、損得抜きに、社会正義のために行動してきたのか、というその勇気と偉大性が見えてきます。
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