京都と外のひとのフリクション

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京都は昨日から黄砂がひどくて、山が見えないですね...。これだけ、天気が目まぐるしく変わる土地なのだと、毎週おどろくし、そこに体が対応できるだけ、しっかりした健康がないと厳しい土地だと改めて実感する。

 京都の人はだんだん少なくなっているらしい。でもそれはそんな気象条件のせいではなくて、京都市内にもともと住んでいた人が、物価高騰・不動産高騰で住めなくなって、財政破綻目前という状況もあることから、この先を考えて次々とでていく、という状況になっていることが理由だそうだ。
 出ていく京都人に反比例するように、京都と関係のない県外の裕福な人が老後、文化的にリッチな生活をということで、市内に高級マンションを買って住むケースが増えているらしい。

 そして、そのよそもの達は京都の伝統コミュニティに寄与しないで、美味しいところだけとって、文句は言うわ、友達でもないのに、名刺持ってサービス要求してきてあつかましいわ、かといって、自分達からは周囲になにも貢献しない、というあたりで、京都の地元の人は怒り心頭らしい。
 とくに、京都の商業地における東京人の態度には本当に限界点を超えるらしく、もう成金東京人来ないでほしい!とひそかに言われていると聞いた。
 なるほど、綺麗すぎる標準語が京都市内で警戒されるわけだ。(だからあえて、セミ京都弁を私は使う。)

この間、京都で一番古いお茶屋街がある上七軒で、舞妓さんを撮影するのが趣味だという観光客のおじさんに「京都って住みづらくて、京都人が意地悪すぎて、長く持って3年なんだってね。」と話しかけられた。
「外国人も、3年はものめずらしくて京都に住むけど、そのあとは住み心地の悪さに耐えかねて、すぐにでて、もう戻らない。」

なるほど。そうなんだ。
3年は、というのは、京都の不動産の最悪なレベル感だけを考えれば、さもありなん。

 おじさんによると、舞妓さんですら、芸妓になったら京都が嫌すぎて、ほとんどがただちに京都から離れるのだそう。
 ようするに、お茶屋さんの世界ともなると、高いレベルを要求しすぎる周囲の目線がつらくて厳しくて自由がなく、伝統ハラスメントがあるからなのだろうと思われる。もともと舞妓さんは京都人ではなく、その多くが多県民なので、相撲の業界でモンゴル人になにがわかるとばかりに、朝青龍に日本の伝統を押し付けまくったのと同じことになっているのだろうと想像した。
 宝塚でもなんでもそうだけど、あるところまで極めた長い伝統世界というのは、最終的に重箱の隅をつっつくようなことになってしまうのかもしれない。自分も気をつけよう。適当、も大事だ。

おじさんはつづける。「沖縄もそうらしいんだよね。いい場所だとおもって移住すると、地元の閉鎖性にぶつかって、結局3年以内ででてくるひとが多くて。京都、僕も住みたいなぁとおもうけど、言葉が汚いと京都の人たちに邪険にされるっていうのも心配で、もともとの僕の出身地、言葉汚いから馬鹿にされるんじゃないかと思うし。」

いや、ちょっと待って、と思った。

そういうのも、もしかしたら稀にはいるかもしれないけど、それだけで意地悪する京都人は、まずいないと思う。むしろ、京都の人は、義理堅く、仲間だと認識したら、非常にあたたかい。(上京区と周辺だけかもしれないけど)
 そうだとすれば、意地悪するにいたった、理由がちゃんとあるはずだ。
なんか、京都の人=意地悪、が前提で話が進んでいるような気がした。

確かに、都会人の目線からしたら、地方都市が悪くて住めなくて出てきた、なのかもしれない。でも、沖縄も京都も、その土地で何十年も、へたすれば何百年も大事にしてきた言葉や歴史や仲間や文化や価値観がある。

それを、突然やってきた、都会の人たちが「面倒なことはやりません。理解する気はありません。新天地で楽しく暮らしたいだけです!」
と自分達のやり方でいきなり押し通し、その土地の事情も知らずに、迷惑をかけていることも知らずに振る舞ったら、そりゃあ、嫌な気持ちになるんじゃないか?とも思う。

 基本的に都会の人には欠けてしまっている視点だけど、地方都市の人たちは、地元の人間関係を大事にする。自分と周りのひとたちとが、お互いの関わり合いの中で、もちつもたれつで成り立っていると考えているからだ。
そしてやっぱり、チベットじゃないけど、信頼はひとっとびには作れない。基本的には蓄積によってのみ、育まれる。距離をつめるには時間がかかる。
 ガードを下ろしてもらうには、その土地にならった手順や段取りがいるし、それまでは全ての人に自分達が見られていると思った方がいい。
(京都で言えば、見知らぬところに入っていくには、お茶の世界の礼儀に準ずるととくに良いかもしれない。)

 東京のひとのように、金さえ持っていれば、いい環境が手に入る、選択は自由、なんでもできる、相手の事情は関係ない、引っ越し挨拶もなし、表札もかけない、という分離の発想は、基本的に成熟した地方都市ほど、発想の常識の中にそういう考え方がないと思う。
 言い換えれば、自分が動くときは、周囲への影響力をもちゃんと計算に入れるのが(かつての江戸もそうだったし)、地方都市の発想だと思う。

 東京は、移民の街。ニューヨークみたいなもんだ。お金が稼ぎやすい面はあるかもしれないけど、ルーツが雑多で根無草の人が多い。都会が洗練されてすぐれているわけでは決してなく、こっちのほうが実は少数派で特殊なんだ、とおもったほうがいい。そして今は情報は、田舎だろうが都会だろうが同じくらい入ってくる。なのに、かっこいい都会人イメージで、遅れた田舎に入ってきたような意識でいるところから、地元との壁ができたりもする。
 言葉が通じるだけに、地方都市の人はそういうのを敏感に感じ取ると思う。
 問題を起こしているのは、中年から高齢者に多いのも、昭和の社会意識をそのまま持ち越しているからだと思う。

 東京人は、カタログを見て、家を購入して、そこに住む。それだけしかない。基本的にどこに住んでも、近所付き合いはあっさりしてて、そうそう環境が変わらないからだ。だから同じ価値観の延長線上で、同じ日本だから、当然地方都市もそんなに変わらないだろうと気を抜いて移住する。

 なので、そこに住んだ場合、自分を取り巻くことになるコミュニティや人の質や方針は、考慮されたうえで選択されていないことが多い。そこで、互いの溝ができる。その土地らしさを自分に帯びるために移住するのに、移民のやり方を貫く都会人、というところにフリクションがある。

 地元民からしたら、突然地元によくわからない領域が発生したようなものであり、異質な侵食者だし、一方、都会人からしたら、リゾート地を買った自分の土地だからなにをやっても自由だろう、ということで、うるさく言われるおぼえはない、となる。適当に距離を取っておけば良い。と。
 いま、日本人は出稼ぎ労働者の移民問題でどうこう言ってるけど、もっと小さな単位で見たら、地方都市の住民と突然やってきて根を下ろす都会人って、それと結局は同じ関係なんじゃないのかなぁと思う。
 日本のやり方を学んでくれない移民はこなくていい!と日本人がいいたくなるように、地方都市の人間もそれまでの文化を一緒に継承してくれる気持ちがある人だけ受け入れたいし、やみくもに壊されたくないものがある、と考えるのは当然の話で、一緒にがんばれなくてもいいから、そこに自分なりの理解と貢献がなかったら、都会人が中国人や中南米の移民たちと同じ扱いの目線を地方都市の人たちに向けられても文句は言えない面もあると思う。

 自分達が京都に住んで馴染めた理由は、一つは住んでなかった若い頃から京都にはよく行っていて、古くからの京都人の友人とのつきあいが一定期間あったり、京都との関わりが他の都市よりも長かったことから理解がある程度あったことも良かったと思う。そして、子供たちが地元の学校に通っていたり、自分も大学に通っているからだと思う。単身で京都に住んでも、たぶんそんなに面白くないんじゃないかと思う。やっぱり、地元に教わる気、馴染む気があるのが一番大きいと思う。地方都市にしたら、腰掛で来るだけのか、そのまま根付くのかは、取り扱いは大きな違いができる。
 海外移住もそうだけど、子供がいて海外移住するのと、子供なしでの違いはとても大きいのだそうだ。子供を通して、お互いを理解したり、情報が入って、馴染んでいくきっかけにもなる。
 冒頭にもちょっと話したけど、自分も東京人なので、京都人が怒り心頭という、東京人がいかに礼を失する態度をとりまくっているかは、なんとなく理解できて、あ〜と思う。確かに東京人は、普段は中国人を悪く言うけれども、東京をでたら、地方都市で中国人並みに人を人と思わない態度を平気でとる人が多いのも実際目にしてきた。これは地方都市にとどまらず、東南アジアや経済的に自分達より下とみなす国での態度にもめちゃめちゃ表れる。昨年、モンゴルに行った時には、金持ちのお嬢ちゃんやおばちゃんがモンゴル人に挨拶すらせず、ありがとうすらいえない姿を目の当たりにして、心底、同じ日本人として恥ずかしいと思った。
 ロンドンとか今、本当にひどいらしいけど、移民をいれると、治安が悪くなるというのは、根無草の意識で生きている人は、その土地への愛着もなく、自分単体でしかものを考えなくなるという性質があるからだと思う。東京人の意識はそれに近い。だから、地方都市の人たちは、警戒する。

 しかし、成金無教養(ただし学歴はある)の東京人の流入を許したのは京都人の不動産に対する問題意識の低さと不動産に甘い京都の政治にも問題があるんじゃないかと思う。

 不動産に関して言えば、今、京都洛中の新築マンションで、東京の小さめのマンションの広さとスペックの物件を買おうとすると、軽く見積もって7千万以上はする。東京のマンションの方が、むしろ安く見える。
 だから、本当の富裕層がリゾート感覚で京都に住み、使い捨て感覚で飽きたらふたたび出ていく、ひろゆき氏のような感覚の、移動する金持ちがたくさんはいってきやすい状況がある。(※おそらく京都人の教養層は、実際ひろゆきが嫌いな人が多いと思う。)
 中国人の不動産の大量購入問題なども、結局は京都の不動産が常に高価格を維持するところから投資が加熱し、外資が入ってきているわけで、普通の民家を利用した宿泊所などがたくさんできたおかげで、治安の維持がむずかしくなる面もふくめて、京都のコミュニティや元々の住民が背負う負担が大きくなったりもした。

 そして、賃貸では、礼金をめちゃめちゃ高く設定しているので、早く住民がでていって回転率を上げた方がいいから、いい住環境を提供しようと言う不動産オーナーも少ない。「嫌なら、でていってください。」と不都合は最低限しかケアしないでいて平気。住民がたまりかねて出たら出たで、住環境に乏しい京都では、またすぐに借り手が現れて、オーナーには礼金がたくさん入るのでありがたいのだ。これは多くの人からも聞いたが、やりたい放題の面がある。
 不動産オーナーにだけ美味しいシステムが出来上がっているので、足元を見られた学生も京都に住み続けたいとは思わないし、もともと京都に住んでいる若い人たちが、自分達の土地で子供を育てたくても、なかなか難しい面も出てきている。不動産が定着を妨げている。

 結局は、一定金額以上の礼金を廃止するか、不動産賃貸オーナーへの義務強化や各方面の不動産業界ののさばりすぎの状況を取り締まらなければ、なにも良くならないのだけども、そういうところに市民から文句が上がってこないのは、市民にも不動産オーナーが多いからなのかもしれない。

 だから、どっちもどっちなのだけど、京都に住むと言うことは、東京に住むよりも実際、色々とお金がかかる、ということも付け加えておきたい。
 東京のスペックで住みたかったら、洛中での家賃は20万近くを覚悟しなければならない。一般の給料をもらうひとなら、その家賃を払うなら、外に出て一軒家を建てた方がいい、と考えるのはまっとうな考えだと思うし、だから元々京都の人は、アホらしくなって滋賀県に流出する。
 京都人の生活自体が伝統文化なのに、京都弁もそうだし、どんどん薄まって消えていっているのはそのせいだ。

 日本人の子供の人口が減って、中国人が大量に入って、京都が乗っ取られるという話も都市伝説ではなくなってきているようだ。
 個人の欲得にかまけて京都を土台にして儲けたいのか、それとも京都にしかないものを守りたいのか、京都の行政はどちらかを選ばねばならないときに来ているんじゃないかと思う。

そして、たぶん、京都が消えてしまったら、もう日本は精神土台を失う。龍体の心臓部分が失われる。これもまた、期限が2025年なのかもしれない。
スピリチュアル的には、並木良和さんはこんなことを言っている。
 近い将来、京都に天皇が移動することになる。日本の東は力をうしない、西へ集まる。首都としての権威は、東京ではなくて、京都に移るようなことになるのだそうだ。

もし、そうなったとき、京都が東京と同じ精神レベルに引き下がったら最悪だけど、自分はなんとなく勝手に遷都してきたつもりでも、生まれ育った東はもう終わりだ、と感じて西に移ってきたのは無意識レベルでなにかを感じ取ってのことだったんだろうと思った。

 日本が西に再び首都を定めるようなことになったら、そりゃあ、ものすごいことだと思うわ。(でも、また家賃があがって、住めなくなるかも。)
京都だけじゃなくて、日本中の地方都市は、人口減で問題が山積してくるかもしれない。移民が嫌だといっていられない状況があり、でも移民によってまたあらたな問題の発生もあり。

この噴出する、どうしようもない問題のごちゃごちゃが、一体、どう収まって、素晴らしい千年王国になっていくのだろうか、とミステリー小説の謎解きのような気分の毎日だ。


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