京都から、ピカチュウが撮った写真が送られてきました。
(今日は、データ量が多過ぎて、表示遅いかも。)
自分がいるところも東京では隠れた桜の名所なので、ボリュームのあるソメイヨシノがたくさん見れますが、京都の庭の隅の桜もやっぱり、素敵ですね。
今日は、ピカチュウがお花見弁当を作って、子供と鴨川でピクニックをしてきたのだそうです。とても美しい風景でした。
ピカチュウは、何気に写真撮るの上手いんで、携帯で撮った現在の京都の写真をいくつか、ご紹介しましょう。
春休みで、京都は人が多いと思います。人混みが苦手な方も、ご自宅でしばし、観光気分に浸ってください。
観光といえば、
京都に住んでいて思うのは、京都はアニメコラボがやったら多いこと!
なんでこんなに萌えキャラが氾濫してるんだろう、と思うくらい、京都とアニメキャラのコラボ企画が、これでもかってくらい続々と毎シーズン出てくるんですよね。
自分はテレビ見ないので、知らなくて、そんなに京都のストーリーがあるのかな、と思って調べてみたら、わ〜。あるね。あるね。w
というか、そもそも業界に「京都もの」というジャンル小説があるそう。w
下の子がはまった、「私の幸せな結婚」も、大正ロマン風のSFストーリーなんですけど、映画の撮影が京都ということで、寺の御朱印帳だったり、老舗名店の櫛だったり、色々とキャンペーンがありました。
山村美紗サスペンス劇場に始まり、京都の特殊性が好まれるのか、舞台設定が京都という括りだけでも60冊近くあるんだそうです。それくらい、京都をモデルにしたライトノベルとかコミック作品ってやたら多いんですね。
こちらもそうですね。
(テレビアニメ 公式サイトより出典)
「京都寺町三条のホームズ」という骨董屋さんのミステリー。
これって、「福岡紺屋町通りのホームズ」とかじゃダメだったんですかね。w
三条あたりを知ってる自分には、福岡の方が知らないからこそ舞台設定に現実味があるような気がするけどな。
そして明太子好きなホームズ。うわ、一気に嘘くさくなった。w
実際はアニメも見たことないんですけど、今度作家さんの出演イベントを京都でやるそうで、気になって、扉のCMだけ見ました。
この作者さんは北海道出身ですが、京都にお住まいだそうで、京都シリーズ小説を書きまくっています。どんな人だろうなぁ。
京都は、ご当地と結びついて、宣伝・相乗効果を出してくれる地方都市なので、「京都」を舞台設定にすると、なかなか美味しいようなんですね。
京都の観光客に、年齢層に偏りがないのも、京都がこまめにそういうマーケティングしているからなんだと思う。ガイドブックも一番発行されてるんじゃないかと思うくらい京都市内でも氾濫してる。
思えば昭和の京都は、歴史や古都マニアのくる場所でしたけど、今の勉強嫌いな若い子は、さして歴史萌でもないので、そんなくくりで京都に来ても、どこへいけばいいかわかんない感じですよね。逆にいえば、歴史しかないように、一見見えるからねぇ〜。
だから、紫式部展もやりつつ、そういう若い層に向けてキャンペーン打って、ラノベ(ライトノベル)で出てきた場所に誘導するということなのね〜。
さすが商人の街よノゥ。w
京都寺町三条のホームズは、ベーカー街をもじったのだろうね。
でもロンドンのシャーロック・ホームズは確かにツンツンした感じがあるにせよ、黒執事っぽいこの三条ホームズさんは、京都の男っぽくないかなぁ。w
実際は、あんな気取った声の感じの男は、京都にあんまりいないし、京都だからといって別に、男ははんなりしてないですね。w
だけどね、何かがあった時、女性をさっと庇えるような強さがあるのが西の男だとは思うよ。瞬間、男が身を挺して弱いものを庇おうとする咄嗟の反応っていうの?古典的な男らしさといってもいいかもしれない。
そこはね、はんなり(ボーッと)してない!
むしろ、海外のヒーロー系の男らしさにも負けない強さがあるよ。
西に来てから、日本の男にも強さや勇気ってもんがまだ生き残っているんだな、ってわかったわ。
それって、日々どう生きてるかっていう癖のようなもので、瞬間体が反応するかどうか、っていうレベルの男の本能的な勇気だと思うんだよね。w
この間、洛中で下の娘がまだ不慣れな自転車にまたがったまま、交差点の信号待ちをしているときだったんだよ。
交差点は少し斜面になっているので、つま先で自転車を支えるのがやっとで、娘は信号変わるのに待ちくたびれて、一瞬自転車のブレーキがゆるんでしまい、自動車がブンブンスピードを上げて走りすぎる大通りに、スルスルっと自転車が飛び出ていきそうになったんだよね。
危ない!と思った、その瞬間。
私より先にですね、前にずっと立ってた若いスーツの男性が、スッと娘の前に出て、自転車を止めようとしてくれたんですよ。
えっ?!自分達、他人なのに、みててくれたんだ!?
って、驚くと同時に、そこに自分は偉く感動しちゃって。
さすが京都の男や!って思いました。
も〜こういうのは、1度や2度じゃないです。
彼らは黙って立っていても、日頃から、たとえ通りすがりの立場であっても、自分の近くにいる弱いもの、小さいもの、子供、女性、障がい者たちが大丈夫かどうかを、ちゃんと目の端っこに置いて、何気に確認してるんですよ。
実の親よりも子供の危険に対して素早く反応した、この若い男性には、カッコ良すぎて正直、敵わんわ!と思った。w
東京だったら、何が起こっても知らんぷり。ウルセェガキがきたなぁと睨むか、東京の若い子なら、音楽聞いてるか、信号待ちの間も携帯見てるね。
絶対。
そういう気遣いと優しさを兼ね備えた強さが当たり前にあるのが、洛中の京都の男やと思います。だから西の女子は内輪にだけ、実は一様にいうんです。
東の男って、女っぽい人が多いよね...ちょっと気持ち悪い。って。
LGBT差別とかそういうんじゃないです。
女っぽい、って西に住む彼女たちが表現しているこのセリフの本質は、東京の男が、女子や自分より弱いものとかどうでもよくて、まず自分だけを守ろうとする態度があからさまだからなんだと思う。
韓国の男も子供に優しいって聞くけど、やっぱり、子供に優しい男というのは、一概に株が上がると思います。カッコよく見えるのはもちろんのこと、女子からしたら本能的に、「うふ!この人なら将来の家庭は安泰ね!」という、補償のようなものを得たように感じられるので、やはりモテると思います。
モテたことがない人は、実験がてらに、人の見てるところで、ぜひこれみよがしにやってみてください!w
東京も無関心やめて、こういうのは、見習ったほうがいいって。
つうか、ピカチュウ、モテたければ、これくらいお前も見習え!(←本当に言いたい相手はこっち。)
あ、そうそう、その延長線上で。
この間、ピカチュウと生日中殺の下の娘の幼稚園時代の思い出話をしてたんですよね。「「お前っていうな!」って、車の中で、俺、陽ちゃんに怒られたよな。w」って話から、
「あのな、昔なんだけど....」
って、ピカチュウが話してくれた思い出話。
「Jemmyが入院してた間さ、俺、子供らみてたじゃん。」
「トロすぎる陽ちゃんにイライラして、俺、一度、こっぴどく怒ったことがあるのよ。」(←せっかちな車騎星です。)
「そしたら、陽ちゃんが睨みながら、いきなり、バッと俺の前につけてた手袋外して、右手を突き出してさ〜」
.「.....俺に、なんて言ったと思う?」
「なんて言ったの?」
「凍れ!!!って、叫んだんだよ。」
そういうとピカチュウは、ポーズをとってみせた。
「...凍れ?!」
と私は聞き返した後、思い出した。
ああ、そういえば、陽ちゃんはあの頃、アナ雪のエルサにむっちゃハマっていたのだった。
「そうだよ、なりきりエルサだよ。」
「で、俺ら、シーンとなっちゃって、「何やってんの?お前。」って、陽に聞いたんだよね。」
「そしたらそのポーズを維持したまま、陽は「いいから、凍れ!」ってもう一度、俺に向かって言ったんだよね。」
「俺が、やだ。って言ったら、怒り出してさ。「お父さん凍りなさい!!」って。ウルセェ俺を魔法で凍らせて黙らせようと思ったらしい。w」
「で、「うるさい、お前、いいから早くやれ」って言って、無視したんだけどさ、本気で魔法を使えると思ってんだよなぁ〜」
とケラケラ笑うピカチュウ。
しかし、自分は、静かなトーンで、こういった。
そして、ふ〜とため息をついた。
「アンタ。まだまだやな....西のパパなら、もっとやり手や!あんたは、やっぱり東のパパやね。」
ピカチュウは、途端に驚いて、
「えっ!何が違うの!」と聞き返す。
「あのな〜西のパパなら、どんなに怒ってても、幼稚園児の娘に、凍れ!って右手出して、魔法をかけられたら、この美味しいタイミングを逃すわけないやろ。自ら、「かちーん!」とか言って、一旦凍るわ。w」
「.......。」
「そして、めっちゃ魔法にノリノリ乗っかった後、「....って、何しとんね〜ん!」って我に返る。これが西のパパや!w」
腕組みして、教授する私である。
ピカチュウは、「そうか....。」と真面目な顔で考え込んだ後、
「俺はまだまだやった....あかん。俺は、まだ西から大切なことを学びきっていない!次は、頑張る...。」
と言って、部屋に戻って行ったのだった。
クックック。w
ライトノベルの京都三条寺町のホームズの話にはさらに続きあって、
Amazonでレビュー見てたら、
「おっちゃんやけど!胸をキュンキュンさせながら読んでます!」という投稿があり、「むっちゃ、地元っぽい〜」と思ってたところ、それに並んでいた低評価のレビューを見て、こちらにもまた、む〜と唸ってしまった。
「京都の小説なのに、この方は京都弁を間違っています。間違った京都弁を発信しないでほしい。せやな、は大阪。そやな、は京都です。〜〜ページの〜〜は大阪。〜〜が京都です!京都をしっかり勉強してから小説書いてほしいです。」
というもの。w
うわ〜!これも郷土愛が過ぎたバージョンの京都の人っぽい〜!w
そしてそんなこと言うから、また京都人は...って言われちゃうんだよな。w
これを人類文化的通訳をさせていただくと、京都って基本的に職人肌の街なんで「極める」街なんですよね。
それが、ライトノベルであろうと、エロ漫画であろうと、アウトローな壁の落書きだろうと、一旦その道で自分がやる!と決めたからには、究極に極めて欲しい!そんな海原雄山もまた、いっぱいいるんですね。w そして、
北海道出身だろうが、京都書くプロなら、極めるべきやろ!と言うようなムードが、なんとなく、京都の仕事人の価値観の根底に、サラサラと流れているんですわ。w
東京人には、そのくらい許してやれや〜、大人気ない、とも思えるコメントですが、これは京都ならではの叱咤激励なんですよね...w
そして、こういうゲキを飛ばされながら、祇園の板前さんとか日々、ストレスに悩まされながら、頑張ってたりとかするんですよね。w
だから他の地方都市に出るとめっちゃハッスルするって言うてました。
そんな海原雄山たちに、山岡士郎は発奮させられ、京都はなににおいても、なんだか業界の水準が高くなっていくと言うことなんです。
あらゆる業界に、ジャンル小説のように、マニアがいるというか。
それがある意味で、仕事人からすると適当なことが許されない京都は、怖いまちなんだと思う。w
でもね、「そやな」と「せやな」で、言わせてもらいたいことがあるんよね。
確かに、洛中では、そやな、が多い気がする。大阪ではせやな、が多いと思う。でも、大阪と京都の間の京都市の別な区の京都出身者の男性に、京都弁レッスンを東京で受けた時、こんなことを聞いたことがあるんだよね。
「京都の相槌は〜.....そやな、と せやな、の間の音なんだよね。」
「soseyana ?!」
「チャウ、チャウ。そ、と、せ、の間。(表記できない)出せる?この音?」
「むつかし〜!」
無茶苦茶ウケるでしょ。
洛中京都、そやな。
↓
洛外京都、そ(せ)やな。
↓
大阪、せやな。
ちゃんと言葉も土地に沿って移動してるやないか〜い!!(爆笑)
要するに正しさってのは、人が使うものだから、本当のところは関係ない。
だって、四国出身の人だって京都に集まるし。親のどちらかが大阪である可能性だってあるし。好きなテレビや友達に影響される人だっているよね。
要するにどうでもいいんだけども、そのオタク度というか、「極めたがり屋」が京都っぽすぎて、
「いるいる、確かに、そういうめんどくさいおっさん!w」
と思ってしまったのだった。
算命学においては、私もそう言うめんどくさいおっさんと思われてるわな。
そして、そのレビューコメントを読んで、
「そろそろ、滞在2年目に入ったし、適当な京都弁では、許されなくなってきたかも。」と青ざめて、その後Amazonで「本当の京都弁会話」の語学CDを購入した、ビビりの東京人の私だった。